6月23日
怨獣鬼が樹木化して三日、その枝には牛一頭が入りそうな大きな果実が実っている。
しばらくして、果実はその重みに耐えかねたように落下すると、真っ二つに裂けた。
白陰と嫦娥が息を飲むように見守っている最中、裂けた実から一つの影が。
「産まれた……か?」
二本足で直立に立ち上がったその姿、闘牛程あった身体は一回り小さくなっている。
それでも、張り裂けんような筋肉に覆われた褐色の肉体美。
解りにくいが、牛のような角も健在だ。
顔立ちは、殆ど人間と変わらない。というか、渋い中年男性のような顔立ち。
口元には立派な白いカイゼル髭が生え揃っている。
部屋の隅にあった水溜め用の樽を見つけると、自らの顔を映し眺め始めた。
指先でカイゼル髭を捻るように摘み上げると
「うむ、悪くない……!」
と、一言漏らす。
更に白陰と嫦娥の姿に気づくと、振り向きざまにこう語った。
「お見苦しい裸体を晒して申し訳ない。良ければ着衣を一着、所望できないだろうか?」
唖然とする白陰と嫦娥だったが
「あ、ああ……服か? 服ならその辺の棚に仕舞ってあるはずだが……」
と指さした。
言われるまま棚を弄り、洋食調理師の制服を身につけ、更にエプロン。
そして、高さ30㎝はあろうコック帽を被ると、再びその身を樽の水に映しだした。
「うむ、悪くない!」
先程より、少しだが声のトーンが上がっている。
「う、汝(うぬ)は一体、何者なのだ・・・・?」
唖然とした表情のまま、絞りだすように白陰は問いかけた。
「吾輩の事ですかな? 確か、そちらのマダムが『怨獣鬼』と名づけてくれたと記憶しておりますが・・・」
ここまで言うと、ちょっと待てと言わんばかりに指先で制し、
「ムッシュ…怨獣鬼。そう……ムッシュと呼んで頂けますか?」
そう言って微笑んだ。
「ムッシュ……怨獣鬼……?」
「妖怪が転生すると、逆に人間になってしまうのかの…?」
何が何だかわからない、白陰と嫦娥。
「ノン!ノン! 私は立派な妖怪ですぞ! 疑われるのなら、力を試してみても結構」
自信に満ち溢れる怨獣鬼の言葉に
「いいじゃろう、試してみようて!」
嫦娥は懐から瓢箪を取り出し、栓を抜いた。
白煙と共に、またも巨体な影が現れる。
「獲猿・・・っ!?」
白陰が驚きの声を上げた。
それは、あの胡媚娘が手足のように操り、凛を苦しめた大猿の妖怪。
「もちろん胡媚娘が連れ歩いていたヤツとは別人じゃが、コイツも同種族の妖怪じゃ。その戦闘力は決して劣らぬ」
ゴリラのように胸を叩き、その力を誇示する獲猿。
そんな獲猿を怨獣鬼は冷めた目で眺め
「どうにも、肉が硬そうで不味そうな獲物ですな」
と、テーブルに置いてあった包丁を手にした。
「どこからでも、どうぞ!」
その言葉に、意味を理解できたのか解らぬが、獲猿は激しい雄叫びを上げると、怒り狂ったように飛びかかった。
両手を振り回し、丸太の雨のような攻撃が襲いかかる。
だが、そんな激しい攻撃を、息一つ乱さぬまま紙一重でかわす怨獣鬼。
当たらぬ攻撃に業を煮やしたのか、両拳を振り上げ、渾身の一撃を振りかざそうとする獲猿。
その隙を見逃さない怨獣鬼は、一瞬にして背後へ回ると、その太い首筋・・・そう延髄に包丁の柄を叩き込んだ!
まるで電源が切れたかのように動きが止まった獲猿。そして、そのまま倒れこみ地響きを上げた。
怨獣鬼は倒れた獲猿の頬を包丁の刃で軽く叩きながら、
「本当ならこのままバラして料理の材料にしたいところですが、あまり美味そうでないので野犬の餌にでもしたら良いでしょう」
とあざ笑った。
「つ……強い……。銅角以上……、いや……身共よりも強いかも知れぬ……」
改めて怨獣鬼の恐ろしさを知った、白陰と嫦娥。
「一つ聞いていいか? ムッシュ、汝は身共たちの味方であるな……?」
白陰の言葉には、怨獣鬼を部下や手下のような格下扱いが無かった。いや…できなかったと言ってもいいかもしれない。
怨獣鬼もそれを察したのであろう。
「それは貴方方次第ですな。吾輩の野望の邪魔をしなければ、吾輩も敵として見ません」
「野望……じゃと…?」
「ええ、吾輩の野望は唯一つ! 全ての人間を家畜にし、この地上を人間牧場にすること」
怨獣鬼はそう言って、カイゼル髭を摘み上げた。
「なるほど、そういう事ならば身共達は敵では無い。だが・・・・」
「だが……?」
「この村には妖魔狩人と名乗る二人の娘がいる。この者達は汝の野望の邪魔をするだろうな」
白陰は、水晶球に凛と優里の姿を映しだした。
「ほほぅ……、若く健康的な娘。なかなか美味そうですな! うむ、悪くない……」
水晶を覗きこむ怨獣鬼。
「ちょっと様子見がてら、村へ行ってみるとしますか!」
村へ辿り着いた怨獣鬼。
見渡す限り森と田畑に囲まれた自然溢れる景色。
この地上を牧場にしようと企む怨獣鬼にとってそれは……
「うむ、悪くない!」
しばらく歩くと、ちょっとした倉庫のような建物が目に入った。
中を覗くと、無数のゲージ(檻)に入れられた鶏の姿が。
そう、ここは鶏卵を生産する養鶏場であった。
「卵とは言え、種族繁栄の為に産んだ子ども達を、良いように食べられているとは……」
一羽一羽の鶏達を憐れみの眼差しで見つめる怨獣鬼。
その中で、最も大柄で健康そうな雌鶏を見つけると、自らの指先を傷つけ、滴る血を雌その喉に流し込んだ。
怨獣鬼の血は猛毒なのか? 雌鶏はゲージの中で激しく暴れまわる!
しばらくの間は体中を痙攣させていたが、一旦落ち着いたかのように静かになった。
だが、それも束の間。雌鶏の身体は、まるで風船のように膨らんでいく。
ゲージを突き破るほど膨れ上がったその姿は、まるでダチョウのような大きな身体。
巨体な妖鶏となった雌鶏は、大きな翼や嘴を振り回し、次々にゲージを突き破っていく。
「なにがあった!!」
同時にドタトダと鶏舎に響き渡る足音が聞こえる
激しい物音を聞きつけ、作業服を着た若い女性や数人の男性が鶏舎に駆けつけたのだ。
「ば…化け物っ!?」
彼らは巨体化した妖鶏を見て、その場で腰を抜かした。
怨獣鬼は、呪文のような言葉で妖鶏に指示を与えた。
妖鶏は、それに頷いたかのように雄叫びを上げると、まずその両足で若い女性の身体を抑えこむ。
そして大きく開け広げた嘴で、女性の頭部を咥え込んだ。
なんと嘴は、まるで顎の外れた蛇の頭部のように、ゆっくりと女性の身体を咥えこんでいく。
「いやぁぁぁぁっ!!」
大声で悲鳴を上げる女性。しかし、ついにはその全身が妖鶏の腹の中に収まってしまった。
しばらくは腹の中で暴れていたようだが、ものの数十秒もすると静かになる。
それを見計らったかのように妖鶏は腰を下ろし、用を足すように気張り始めた。
微かな痙攣の後、妖鶏の尻から丸い物体が産み落とされる。
それは、女性が着ていた作業服と同じベージュ色の、大きな大きな卵だった。
妖鶏は間髪をいれず、他の男達にも襲いかかる。
男たちも次々に呑み込まれ、卵として産み落とされていった。
怨獣鬼は、最初の女性だった卵を拾い上げ、その殻の手触りを確かめる。
「うむ、持ち上げただけでわかる、この身のつまり具合。これはいい食材です。どこか……調理できる場所はないかな?」
反面、
「うむ……、男の卵化は食欲が出ませんね」
と、男たちの卵はそのまま放置し、女性の卵だけを持って外へ出て行った。
木造鶏舎の一部を剥ぎ取り、それを薪代わりにし、鉄製の扉をフライパン代わりに熱し始める。
ベージュ色の卵を鉄板の端で叩き亀裂を入れると、勢い良く鉄板の上で真っ二つに割った!
ジュゥゥゥゥゥッ・・・!!
湧き上がる湯気と飛び散る油の中で、日の丸旗のように卵の中身が広がる。
そして、十分に焼きあがるのを確認すると、大皿に移し、塩とコショウを振りかけた。
「一口に目玉焼きと言っても、色々好みがある。ちなみに吾輩はサニーサイドアップ派。黄身は半熟がいいですな」
そう言いながらナイフで切り分け、口へ運ぶ。
「うむ、適度な甘みと、タンパク質の質の良さ。悪くない! やはり、人間は家畜にするべきです」
大きな目玉焼きを全てたいらげ、満足の笑みを浮かべる。
「さて、先程から気になっているのですが、そこの子豚妖怪……。怖がらなくていいから、出てきなさい」
怨獣鬼は、鶏舎の影に視線を変える。
そこには、ビクビクと震えている猪豚蛇の姿があった。
「知って…いたダカ……。そ…それに……オラ、豚じゃ…ねぇ……。蛇妖怪……ダ…」
「それは失礼。たしか、貴方も元は白陰氏たちのお仲間だったとか。 ですが現在は、裏切り者と聞いておりますが……?」
「ひぃぃぃ……、オ…オラに手を出すと……、妖魔狩人に……討たれるダヨ………」
「それです! その妖魔狩人です。 その者をここへ連れ出してもらえませんかね? そうすれば、貴方には一切手を出しません」
「アーチャー/スナイパー。 1マスから3マス離れた場所からの遠距離攻撃が可能。ただし、隣接されると無抵抗に攻撃されることが殆ど。唯一『狙撃』のスキルが使え、発動すると、一撃で敵ユニットを仕留める事も可能・・・・・」
自宅で父のパソコンを使い、心美の言っていたゲームの公式サイトを眺める凛。
「ゲームでも、弓では近接戦闘に向いていない。つまり今まで勝ててこれたのは、わたしの実力というより、単純に敵が弱かったせい……?」
その時・・・・
コツン!!
部屋の窓ガラスに、何かが当たる音が。
カーテン越しに外に目をやると、猪豚蛇が窓ガラスに小石をぶつけていた。
「どうしたの?」
窓ガラスを開け、声を掛ける凛。
「妖怪ダ……、悪い妖怪が現れたダヨ……」
猪豚蛇の案内で養鶏場に着いた凛と金鵄。
幸いな事に、優里ともすぐに連絡が取れ、現地で落ち合うことができた。
霊装し、鶏舎の周りを調べる二人。
「何かしら……、このベージュ色の球体は……?」
所々に転がっている球体を見つけ、優里が呟いた。
「霊気を感じます・・・それも、人間の霊気です・・・」
凛が付け加える。
「それは、ここで働いていた人間を卵化したものです!」
背後から、張りのある丁寧な口調の声が掛けられた。
そこには褐色の肌、白いコック服に身を固めた、大柄な中年男性(ぽい)姿と、ダチョウのように大きな鶏が待ち構えていた。
「アイツだ、アイツが……妖怪ダヨ!」
叫んだと同時に、まるで音速の勢いで鶏舎の影に身を潜める、猪豚蛇。
「初めまして、吾輩……ムッシュ・怨獣鬼。そう、ムッシュとお呼びください」
怨獣鬼は深々と頭を下げる。
「こちらは吾輩の部下、妖鶏でございます」
「挨拶は結構です。それより、人間の卵化とはどういう事ですか!?」
こちらも丁寧だが、強い口調の優里。
「妖鶏は人間を呑み込んで、卵に変えて産み落とす事ができるんですよ。ちなみに、味は普通の鶏卵に比べ、遥かに濃厚で美味でした♪」
その言葉は、凛と優里の眉尻を5ミリ程釣り上げさせた。
「吾輩の野望は、人間全てを家畜にすることです。人間たちは私達に飼い慣らされ、そして食用肉として、妖怪たちに供給されることでしょう」
「そんな事は許さない!」
言葉と同時に、弾き出されたように凛と優里は跳びかかった。
優里の鋭い薙刀の刃が振り下ろされる。
キーンッ!!!
甲高い金属音が鳴り響く。その刃は、怨獣鬼が手にした包丁の刃で受け止められていた。
「うむ、悪くない……。いい太刀筋です!」
―この人……、並みの妖怪では無い!?―
刃を合わせただけで、お互いの力量を読む二人。
一方凛は、弓を構え弦を引くが、妖鶏の鋭い嘴や足爪の攻撃が速く、矢を射ることができない。
一旦飛び避け、改めて弓を構えようとすると、今度は頭上から妖鶏が襲いかかる。
―間に合わない……―
凛が諦めそうになる寸前、目の前を一陣の風が通り過ぎる。
それは、優里が振り払った薙刀。
慌てて避けようとした妖鶏だが、刃が大きな胸をかすめた。
妖鶏の胸元に、一筋の真っ赤な切り傷が現れる。
「うむ、白陰の言っていた通り、白い妖魔狩人の方は、要注意ですね」
怨獣鬼と妖鶏の鋭い眼光が、優里を突き刺す。
相手にされていない……。
今のわたしは、相手の眼中に入っていない……。
ここ最近の二連敗。
そして、今も蚊帳の外になっている。
凛は、そんな自分が惨めだった。
戦いに負ける恐怖心よりも、今まで村を守ってきた自分は、夢や幻だったのでは無いかと思える程のこの現実が、なにより情けなく思えてきた。
「凛・・・・?」
金鵄もそんな凛を心情を察したのか、不安そうに見つめる。
どうする!?
① この場は優里に預け、凛は一旦場を去る。
② 逃げちゃダメだ! 凛は弓を構え突撃する。
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『-後編-』へ続く。
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