「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」
……と言うことで、季節(とき)は清明。
もっとも、実際は二日ほど過ぎているため、今日は四月六日となる。
そう、本日は高校二年生となる始業式の日なわけで。でも、二週間ちょっとも休みが続いた後の学校というのは、楽しみのような……面倒くさいような。
正直言って、まだ布団の中で転がっていたいというのが本音だな。
しかし、ここで休んでしまえば、また明日も学校を休むだろうな。俺は自分の性格を、嫌と言う程知っている。一度自堕落すると、そのままズルズル流されてしまうという情けない短所があるんだよ。
だが、これを逆手に取って、まったく逆のスイッチを入れてしまえば、打って変ったように頑張れるという……長所にもなるんだな。
そんな訳で、ちょっと気合を入れて布団を蹴っ飛ばし、勢いをつけて起き上がってみる。
こうなればこっちのものだ。不思議と「学校へ行かなきゃ…」モードに入ってくれる。
あくび混じりで制服に着替え部屋を出ていくと、廊下の真ん中にある階段を降りていく。
まだ寝ている人もいるかも知れないので、慌てず急がず静かに降りていくと、四~五人が並んで使える洗面所が目に入る。
ぼんやりと顔を洗って、その隣向いにある襖を開けると、そこは六~七人が余裕で座れる居間であり、食事はそこで食べる様になっているわけだ。
「おっ!? 倫人(りんと)ちゃん、きちんと起きれたようだね。偉いぞぉ~っ!」
食事をテーブルに並べながら、まるで小学低学年の子どもを相手にするような言葉を掛けてきたのは、恵比寿様みたいな丸々とした女性。
いやいや、違うぞ! この人は俺のお袋(母親)ではない。俺のお袋は今頃親父と二人で、地球の反対側あたりに居るだろうよ!
この人は『多々良紀子(たたらのりこ)』さんと言って、この『下宿屋多々良』の女主人で、俺の叔母に当たる人だ。
俺の両親は考古学者をやっていて、俺が幼い頃から世界中を飛び回っている。そのせいでしばらく日本を離れるときは、こうして叔母さんが経営する…この下宿屋に俺を預けていくのが定番となっている。
それもあってか、叔母さんは今でも俺を小さいころと同じように扱ってくるわけだ。
まぁ、俺にとってはもう一つの実家みたいなものだが、それでも下宿代だけはしっかり受け取っているというから、叔母さんも抜け目がない。
「あら、たしかに受け取ってはいるけど、でも……今どき三食付きで、月五万円なんて下宿代。こんな低価格で良心的な下宿屋、滅多にないわよ!」
たしかにもっともだ。俺が言うのもなんだが、叔母さんはちょっとお節介なところもあるが、たしかに人当たりが良くて面倒見が良い。
「ところで倫人ちゃん。『王女ちゃん』は、まだおやすみしているの?」
勢いよく朝食をかっ食らうこの俺に、もう一人分の食事を並べるべきか…否か、悩みながら叔母さんはそう問いかけてきた。
「ああ……? あの人はまだ寝ているみたいだ。まぁ、自由気ままにやる人だから、放っておいていいんじゃないか?」
「うん……。でも、いくら学校とか行っていないと言っても、まだ『小さい』んだから、あまり不規則な生活はさせない方がいいと思うのよね~っ。」
叔母さんの言うことはたしかに一理ある。しかし、俺はあえて…それ以上は何も言わないようにしている。なぜなら、あの人(王女)は俺ら人間とは、若干と言うか……かなりと言うか、まぁ違うところがあるからな。
そう思っている俺が口を閉ざしたためか、この話はここで終わり。
そのあと、残りの飯を丸飲みするように口の中へ放り込むと、そそくさと席を立ち、出かける準備を始めた。
「それじゃ叔母さん、行ってくるよ!」
久しぶりの通学。今まで通り玄関口を開けると、これまた今まで通り…よく知る人物が、表で待ち構えていた。
「おはよう倫人! 今日もいい天気だね! でも、相変わらずのんびりしすぎ。もう少し急がないと、遅刻するよ!?」
まるで少年マンガか、恋愛シミュレーションゲームかと思うような…テンプレートな言葉を掛けてくるのは、これまたテンプレートな幼馴染と言っても過言ではない、一人の少女。
「あ~っ…『麻奈美(まなみ)』。お前こそ、毎回言う事が変わらねぇーなーっ!」
「言われたくなかったら、もう少し早く起きなさい♪」
そう言って、ニヤリと白い歯を見せる麻奈美。意外にも、この笑顔にコロリといった野郎の数は、俺の知っているだけで両手の指だけでは足りない程いるのだ。
そんな俺自身も、彼女のことは嫌いなタイプではない。いや本音を言えば、少し好意を持っている。
中学時代は陸上をやっていたと聞いているが、たしかに健康的で均整の取れた身体つき。明るい笑顔にふんわりそよぐポニーテール。そして、遠すぎも無く…近すぎでもない、ちょうど良い距離感で話しかけてくる言葉遣い。
そんな子と、もし…つき合う事ができたなら?
そう考えるのは、健全な男子高校生であれば、決しておかしくないことである。うん!
そんな悶々としたことを考えながら歩き、いつの間にか校門前にたどり着くと、今度は背後から声を掛けてくる人物が。
「おっは~っ…麻奈美~♪」
この子は、たしか……麻奈美の同級生で、後藤……絵里子って言ったっけ?
「さん!を付けなさい。絵里子…さん!ってね。そういうアンタは、フロン……リントだっけ?」
お前も呼び捨てしてんじゃねぇーか!? てか、フロンって何だ? ガスか…俺は!?
「古鵡(ふるむ)倫人だ!」
「そうそう~古鵡倫人だったね。うん、おっは~っ…倫人♪」
長めの髪を振り乱しながら、大袈裟に腕を上げ挨拶をし直す彼女。
まぁ、見た目は割と可愛い……。いや、割とどころか、おそらく校内でも1~2を争う美少女といっても過言では無いだろう。噂では去年一年間だけでも、二桁の男子から告白を受けたと聞いている。
だが当の彼女は、大人びた見た目と違って男女の恋愛にはあまり興味を持っていないらしい。麻奈美が聞いたところによると、そういったのは高確率で面倒くさい事案に発展するため、あえて避けているとのことだ。
実際に彼女を見ていると、その日…その日のノリだけで生きているようなところも見受けられる。そういった性格には、男女関係というのはたしかに面倒くさいのかも知れないな。
「ところで、今日クラス替えじゃん? また、麻奈美と同じクラスだといいね~♪ あと、ついでに…倫人も!」
ああ…そうかい。俺は『ついで』かい!? まぁ、いいけどな。
そう、新学年を迎える今日は、恒例のクラス替えの日でもある。
去年…俺と麻奈美は別のクラスだったが、今度は出来れば同じクラスがいい。俺はそう心の中で、手を合わせる。
そんな俺の願いを神様は聞いてくださったのか?
「あっ!? 私と倫人……、同じクラスだね!! あら、絵里子は別かぁー。」
「な、なんですとーぉ!? アタシと麻奈美は離れ離れですとーぉ!? 神よ、なんという仕打ちを与える……!」
人間のささいな幸せは、神様の気まぐれで大きく変わる。今回の気まぐれは、俺のほうに傾いたらしい。この片宗(かたむね)市には全国的に有名な片宗大社があるが、今度の休みにでも、お礼がてら参拝に行っておくか!
そんな片宗市。今言った割と有名な大社がある他は、まったく平凡な街である。むしろ田畑が多く、また海にも面しているため漁業も盛んで、少し離れた丘福市とはまるっきり対照的なイメージだな。
この高校……私立片宗高校も偏差値は平均的で、部活動なども突出したところがあるわけでもないし、かと言ってレベルが低すぎるわけでも無い。
全てにおいて狙ったように平均的で、むしろそれだけ平均的だと…逆に珍しくないか?と言いたくなるくらいである。
そんな学校だからか? 校内においても、皆の話題は平凡である。
クラスが変わったばかりであっても、馴染みの者同士が集まり、自分たちの生活にあまり支障の無いような、どうでもいい話題で盛り上がるのが常である。
ちなみに今日の話題は、最近片宗市の周りの町で起き始めているという、『不可解事件』というものだ。
なんでも、人が神隠しにあったように忽然といなくなるとか……。要は行方不明事件が二~三件起きているらしい。
たしかに不可解と言えば…不可解だが、ぶっちゃけ言って……そういった事故や事件は全国でも結構あるだろう。俺個人としては、そこまで気にするほどでもないんだが。
「でも、何の前触れもなくいなくなるって、やっぱり不思議っていうか、怪しいよね?」
傍で一緒に耳を傾けていた麻奈美は、そう言って眉をひそめていた。
「移動クレープ屋…マーチ?」
授業が全て終わった放課後。俺と麻奈美が帰路につこうとすると、絵里子がそんな話を持ち掛けてきた。
「うん。ふみっちが言うには、西九秋市で人気ある移動クレープ屋さんで、今週一時から四時の間、西郷公園でも営業しているんだって!」
「ふみっち……?」
「あ~っ!? 今日からアタシと同じクラスになった子! で、ふみっちは他の子と先に公園に向かったけど、麻奈美……どうせ帰り道じゃん! 今から一緒に行こぉ~よっ!?」
絵里子はそう言って麻奈美の手を取ると、目をキラキラと輝かせて問い掛けた。
だけど、当の麻奈美は…というと、奥歯に物が挟まったように苦々しい顔をしている。
「ごめん! 今日は帰り道とは反対方向にある……和菓子屋さん『さくや』に寄って行かなきゃいけないんだ。」
「和菓子…? 麻奈美、和菓子……好きだっけ?」
「うん、好きだよ! でも、今日のは私が食べる物じゃなくて、親からお土産用で買ってくるように頼まれているの。」
「そっか……残念! じゃあ~っ、悪いけどアタシ。すぐひとっ走りして、ふみっちたちの後を追うよ。麻奈美。明日か…明後日、一緒に行こ♪」
恵里子はそう言うと陸上部顔負けの全速力で、校門を駆け抜けていった。ホント、元気なヤツだ。
そんな絵里子を見送った後、俺たちも『さくや』を目指して歩き始めた。
「えっ!? 倫人もさくやに寄っていくの? 私一人でも大丈夫だよ?」
「どうせ、お前とはお隣さん同士だし、すぐに帰っても暇だからな。とりあえず付き合うぜ。それに……」
「それに……?」
「うちには、その手の物が大好きな人もいることだしな。ついでに買って帰るわ。」
「和菓子が大好きな人…? 倫人のいる下宿屋さんに? ああ~~~っ、『王女様』!?」
「ああ。 あの人、以前…お前が持って行ったイチゴ大福。大絶賛していたぞ!!」
「『キラリン大福』でしょ! あれも…さくやの人気商品だよ♪ そっか、王女様……お菓子大好きだもんね!」
「ああ。特に和菓子は、こっちへ来て初めて食べたと言っていたからな。偉いお気に入りだ!」
そう話しながら歩いていると、お目当ての和菓子屋さくやへたどり着いた。
「これが、その……キラリン大福ってヤツか?」
キラリン大福っていうのは、一言で言えば大福の中に一粒のイチゴが丸ごと入っているイチゴ大福である。
ただ、他のイチゴ大福と違うところは、餅生地の中にもイチゴ果汁が混ざっており、綺麗なピンク色であること。
そして材料であるイチゴは、片宗市の名産ともいうべき、全国的に人気の『あまあま王』を使っているということ。
これによって他所のイチゴ大福よりも、桁違いに美味しいと言われているらしい。
ちなみにネーミングの『キラリン』というのは、ここ片宗市(兼…片宗大社)の『ゆるキャラ』……『キラリン姫』から取っているらしい! てか、なんだ……そのキラリン姫っていうのは?
俺はキラリン大福6個入り1箱を購入。麻奈美は、今の季節にピッタリの桜餅を、土産用に包んでもらっていた。
ほぉ! それも結構旨そうだな。王女が喜びそうだぜ。
買い物を終え、帰りは再び引き返す形で高校の脇を通る。そのまま家に向かって歩き続ければ、例の西郷公園の傍を通り過ぎるわけだが。
フトッ、公園の方を見ると、明るい山吹色に音符のマークが描き込まれた一台のワゴン車が目に入った。車体や傍に立て掛けてある幟には、移動クレープ屋さんマーチと書かれている。
だが、その光景に何か違和感を感じた俺は、スマホを取り出し時刻を確認してみた。
もう、とっくに5時を過ぎている。
「あれ? 絵里子はたしか……4時までって言っていなかったっけ?」
俺がそう呟くように言うと、
「ホントだ。予想以上に好評で、営業時間を延期したのかな?」
それを見た麻奈美も、同様に不思議そうな顔でそう返した。
だが、その割にはお客さんらしき人影は目に入らない。まるで無人のように見える。
しいて言うならば、少しだけ離れた場所に、もう一台トラックが停めてあり、二~三人が男女が、肌色の段ボール箱のような物を積み込んでいた。
それにしても、その段ボール箱。なんとも不思議な模様が描かれている。
大きさ的には、週刊少年雑誌を10冊ほど積み重ねた位のサイズで、全体的に肌色がベースなのだが、一つの面には『人間の顔』の……、もっと細かく言うと『女性の顔』のような模様になっていた。
それがあまりにリアル過ぎて、正直……俺の目には、悪趣味にしか見えない。
隣にいる麻奈美も同じように思ったんだろうな。思いっきり疎ましい表情をしている。
ま、今の時代……何が流行るか、判らないしな。あんなデザインでも、需要があるところでは、あるんだろう。
俺は、それ以上考えないようにした。