2019.01.26 Sat
ターディグラダ・ガール 第十話「人間の敵?ターディグラダ・ガール」 一章
第一章「ヒーローへのあこがれ」
「今日華(きょうか)、今日も学校へ行っていないんでしょ!? どこへ行っていたのよ!」
母親であろうか? 一人の中年女性が奥の台所から首を出し、玄関に向かって金切り声を上げていた。
「あなたが学校を行かずに、何処で何をしようと構わないけど、家族に迷惑を掛けるような事だけはしないで頂戴ね。お父さんの信用問題に関わるんだから。」
その言葉に、今日華と呼ばれた少女は手にしていた鞄を玄関口に放り投げると、
「わかってるよ……。なんかあっても、親の名なんか出さないから…」
そう呟くように言うと、再び表へ飛び出して行った。
ドンッ!!
玄関を出た瞬間に何かに当たった感触があり、見ると目の前で尻餅をついている小柄な人影が。
「痛ってぇ! なんだ…姉ちゃんか? いきなり飛び出して来るなよ!?」
それは4歳下の弟の淳史(あつし)。目障りなくらい、いつも元気に満ち溢れている。
その彼の手は、なにやら人形みたいな物を握り締めているが、
「なにそれ? 特撮物のフィギュア?」
「そうだよ! マスク・ド・ソルジャーのフィギュア!」ヽ(`▽´)/
「小五にもなって、まだ…そんなので喜んでいるんだ?」
「年なんか関係ないよ。ヒーローになって誰かを助けたい!守りたい! 男としての夢だよ!」
「ヒーロー……ねぇ? そんな者…いるわけないし、仮にいたとしても、あたしなんかには、何があっても助けに来ちゃ…くれそうにないね。」
今日華は吐き捨てる様にそう言うと、通りを駆け出していった。
たどり着いたところは、極普通の一軒家。
玄関口に備えられているインターホンを押すと、玄関口から今日華より少し年上っぽい少女が現れた。
「先輩、こんにちわ。すみません…今日も"貸して"いただけませんか?」
先輩の少女は、やや顔をしかめたが、
「いいけど、レンタル料と燃料代は貰うよ。」
「もちろんです。」
「それと、アンタ…"無免許"なんだから、絶対に捕まらないでよ! 捕まったら、貸したアタシも責任取らされるんだからね!?」
「はい。絶対にヘマしません!」
今日華はそう言って先輩から預かった半キャップヘルメットを被ると、裏口に置いてあったスクーターに跨り、勢い良く走り出していった。
肥後国県は古くからの街並みが残る土地。県庁所在地である肥後国市はそれなりに都市化が進んでいるが、それ以外は今でも山地や田園が多い、自然溢れる街並みである。
今日華の住む万代町もそんな場所で、今……、今日華はその田園の中の一本道を、風を切って進んでいた。
たとえスクーターでも、バイクはいい! 適度な緊張感と爽快感は、普段の生活では味わえない。
今日華は田園風景の中で、ポツンポツンと散らばる民家の中から、一件の古民家を選ぶと、前にスクーターを停め、座席下のメットインの中からコンビニ袋を取り出し、古民家の中へと入っていった。
今は誰も暮らしていないのだろう。柱も畳も埃に塗れ、生活感がまるで残っていない。
そのうち一か所に潰した段ボールを広げた所があり、今日華はその上に腰を下ろした。
「ここは、二か月前…あたしが見つけた、あたしだけの居場所。ホントは中学行っている時間もここに来たいけど、バイクが無いと、来るのきついもんね。」
今日華は一人そう呟きながら、コンビニ袋からペットボトルのコーラを取り出した。
「わかってるわよ。父親は県知事……、母親はその秘書。そんな優秀な両親から生まれた娘は、勉強はたいして良くない…、スポーツで目立つわけでも無い。ただの落ちこぼれ少女A。それでも学校へ行けば行ったで、陰でゴチョゴチョ言ってたり……スルーしたりする奴ばかり。あんまりにも鬱陶しかったから、そのうちの一人を引っ叩いたら、わんわん泣いて大騒ぎになって。泣くぐらいなら、最初からしょうもねぇ事すんな…つうの!」
溜息混じりでそう呟くと、コーラーを二口~三口と喉に通した。
ゲップ…ッ!
「多分、学校でも家でもあたしの事を、DQNとか……半グレとか言ってるんだろうな? 別にそんなんじゃねぇーけど、でも…どうでもいいかぁ。」
今日華はそう言うと、段ボールの上で大の字に寝転んだ。
「もし、あたしがこのまま帰らなかったら? 誰か悲しむ人……いんのかな? 学校には、まずいねぇーな。家は……? 無理だな。親も仕事や世間様の方が大事そうだし!」
それ以上口に出すのは辛いのか? 口を噤み、大の字のまま天井を見上げ、頭を空にするように、ゆっくり瞼を閉じた。
すると、
グラグラグラグラグラグラッ…………………
段ボール、いや…畳の下。いや……もっと地中深くから聞こえる振動のような音。
それはすぐに、古民家全体を大きく揺らし始めた。
違う! 揺れている…そんな生易しいものじゃない! 船だ! 嵐の中を漂う小船に乗っているような感覚だ!!
立ち上がる事もできず、寝転んだまま揺れに身を任す今日華。
目の前の天井裏から、パラパラと木屑のような物が落ちてくる。そしてそれはすぐに、
メキッ…メキッ…メキッ…!!
天井を支えていた木材が引き剥がされるように崩れ始め、雨のように降り注いでいった。
「いやァァァァァァァァァァつ!!」
咄嗟に頭だけは両手で塞ぐように庇ったが、崩れた木材の一本は、今日華の左ふくらはぎを押し潰すかのように振り落ちてきた。
「痛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁつ!!」
切り裂くような悲鳴が、古民家内を響き渡る。
――死んじゃう……、このまま死んじゃう……―
真っ黒の頭の中は、その言葉しか浮かんでこない。
やがて、揺れは少しづつ穏やかになり、おおよそ2分くらいで元の静けさに戻っていた。
それは、後に肥後国震災と呼ばれた…肥後国県と備前県を襲った大震災。特に今日華の住む万代町近辺は、震度7を計測したと言われている。
半壊した古民家の中で、頭を抱えたまま横になっている今日華。そして、その左足の上には重く圧し掛かったままの一本の木材。
幸いな事に、今日華自身は目を閉じたまま震えてはいるが、意識はしっかりしていた。
――誰か……、誰か……助けて。足が…痛い……―。
熱いような、それでいて麻痺しているような、不思議な感覚の左足。
だが今日華は、自分のその足がどうなっているのか? 見るのが怖かった。もし…折れていたら? いえ、それどころか…引き千切れていたら? そんな恐怖が頭を過り、直視する勇気はとても出せなかった。
しかし助けを待つにしても、遠くの方で救急車や消防車などのサイレンの音は聞こえるが、こちらに近づいてくる気配は一向に無い。
――そうだろうな……。所詮……あたしなんか、DQNのJC。誰にも気にも留められず、このまま死ぬんだ……―。
現実は、県警の警備部や所轄の職員。消防署のレスキューは当然……地元の消防団、そして民間人まで。
動ける者は決死の救助活動を行っていた。しかし、いかんせん…それでも人手が足りない。そのため、今日華が倒れている地域まで手が届かなかったのだ。
そんな事は知らず、助けてもらいたいけど、そんな気配が無い状況。その恐怖や悲しみが、今日華の心を、必要以上に絶望的にさせていた。
そんな絶望の奥底に落ち込んでいた今日華だが、しばらくすると、ある聞き慣れた音が耳に入って来た。
それは、遥か頭の上を飛び交う……ヘリコプターのプロペラ音。
そう。陸自(陸上自衛隊)のヘリが、救助活動にやってきたのだ。
今度は先程よりも、近い距離から人の声が飛び交っている。そして、それから十数分後……
「誰か……、ここにいますか!?」
明らかに、古民家の内部から聞こえる人の声!
「救助に来ました。誰かいますかぁ!?」
――助かる!?―
そう思った瞬間、溢れる涙。
「た……たすけて……。こ……ここにいる…」
喜びと、それに反して残っている恐怖心が、蚊の鳴くような声しか、今日華の口から出させなかった。
それでも、
「もう、大丈夫だ。助けに来たよ!」
ハッキリした口調が、頭のすぐ上から聞こえた。
恐る恐る目を開くと、目の前に迷彩服に身を包んだ、若い男性の姿が!
「陸上自衛隊西南方面隊 水樹二等陸曹です。どこか痛い所はないかい?」
暖かい眼差しから問われる言葉に、今日華は涙ながらに自身の左足を指さした。
「なるほど、天井の木材が落ちて来たんだね。でも、大丈夫。すぐに引き出してあげるよ。」
水樹陸曹はそう言うと、他の木材を利用して梃子の原理を応用し、今日華の左足に乗っている木材を持ち上げていった。そして、充分な高さまで持ち上げると、ゆっくりと彼女の足を引き抜いていった。
靴と靴下を脱がし止血等の応急手当をすると、他の材木を副木代わりにし、左足を固定した。
「あ…あたしの…足、もう……使えない…の?」
「いいや、大丈夫だ。幸い酷い骨折もしていないし、神経もまだ生きている。すぐに帰って手当すれば、また普通に歩けるようになるよ。」
その言葉は、今日華の心に充分な光を与えた。
「で…でも、どうして……あたしがここにいるって、わかったんですか?」
気持ちに余裕が出来たのか。思わず頭に浮かんだ疑問を口にした今日華。
「うん。たしかにこの近辺は、今はだれも暮らしていない民家ばかりだと聞いていたんだけど、ヘリから見下ろしていた時、スクーターらしき物が倒れているのを見つけてね。誰か来ているのかも知れないと思って、真っすぐ向かってきたんだ。」
そう言って陸曹は今日華に手を差し出すと、
「中…学生……くらいかな? 名前を訪ねていい?」
「か…鹿村……、きょ……今日華……です。」
「今日華ちゃんか!? 今日華ちゃん……、キミを見つけることができて、本当に良かった。さぁ、一緒に帰ろう!」
屈託のない笑顔で出されたその手に、今日華の目頭は再び熱くなってきた。
「はい……。」
今日華は素直に右手を差し出した。
だが、その時……!!!
グラッ! グラッ! グラッ! グラッ! グラッ!
先程と同じく……、いや…もしかしたらそれ以上かも知れない大きな揺れが、再び襲い掛かって来た!!
「今日華ちゃん、頭を低くして! 絶対に動かないように!!」
水樹陸曹はそう叫ぶと、今日華を守る様に、その身体の上に覆い被さった。
激しい揺れと、それによって崩れ落ちる古民家が、二人に情け容赦なく襲い掛かる。 目を瞑ってジッとしている今日華だが、その耳からは周りの崩れ落ちる音や……
「ぐっ!」「ぐぁっ!」
といった、水樹陸曹の短い悲鳴が耳に入って来る。
やがて二分程経つと、再び元の静けさに戻っていた。
幸いな事に、今度は今日華の身体に痛みは一つも無い。
「陸曹さん……、もう…大丈夫ですか?」
今日華はそう言いながら、恐る恐る目を開いた。
「キャアアアアアアッ!?」
その目に映ったのは、額や全身から血を流したまま、今日華に覆い被さるように立っていた、水樹陸曹の姿。
そして、そんな状態なのに水樹陸曹はゆっくりと口を開き、
「今日華ちゃん……怪我は、ない…かい……?」
と尋ねてきたのだ。
「は…はい。あたしは…大丈夫です!」
「そ…そうか、それは良かった……」
水樹陸曹はそう答えると、その場に崩れるように倒れ落ちた。
「陸曹さん!!?」
よく見ると、彼の背中から胸にかけて、一本の材木の破片が真っ直ぐ貫いている。
「大丈夫だよ。俺は大丈夫……。それより、キミにお願いがあるんだ。聞いてもらえるかな?」
「はい! あたしに出来ることなら……なんでも!」
「ありがとう…。なに……難しい事じゃ…ない。僕のベルトのポーチに携帯通信器が入っている。それを出してくれないか?」
陸曹の言葉通り、確かにポーチには昔の携帯電話のような通信器が入っていた。今日華はソレを出すと、
「そうしたら……、スイッチを押して…僕の口元に近づけて欲しい……」
「わかりました。」
今日華は、通信器にあるスイッチを押して、それを陸曹の口元に近づけた。すると陸曹は、
「こちら……水樹二等陸曹…。負傷した少女を発見……。至急救援を願います……」
と話しだした。
陸曹の言葉が終わると通信器からは、
「了解。大至急…応援をそちらに回す」
と返事が返る。
「これで……僕の仲間が…、助けに来てくれる……。だから……キミは安心して待っているといいよ……」
その言葉に、今日華は今まで以上に涙を零すと、
「ごめんなさい……。あたしを助けるために…こんな事に! ごめんなさい…、あたしがこんなところへ来なければ……!!」
と、まるで土下座するように泣き始めた。
すると陸曹は静かに首を振り、
「キミは……何も悪くない…。これが……僕の役割…なんだ。たとえ…誰がどんな場所にいても……。一人でも多くの命を守り……助ける。それが……僕の……任務なんだよ。だから…、キミは…何も気にすることは無い……」
そう言って、血の気の引いた顔にも拘わらず、優しい笑顔を見せた。
「ヒーロー………」
いきなり、今日華がポツリと呟いた。
「えっ…?」
「陸曹さんって、ヒーローみたいですね。」
「この僕が…ヒーロー……? それは…自衛官にとって、凄く嬉しい……言葉だよ。」
「あたしは、親にも……学校の友達や先生にも……。誰からも見放されていると思っていた。だから……、あたしなんか……誰も…見向きもしない。誰も助けてくれない。そう…思っていた。でも………」
今日華はここまで言うと、陸曹の目を強く見つめた。
「ヒーローは、いた!! そして…あたしを守りに! 助けに来てくれた!!」
その言葉を聞いた水樹陸曹は、しばらく優し気に微笑んでいたが、
「でも、ヒーローっていうのは…、誰にでも…なれるんじゃ…ないかな?」
「え……!?」
「誰かを守りたい……。誰かを助けたい……。そう思って行動したとき、その時…その人は、一人のヒーローなんだ……。僕はそう思っている。」
水樹陸曹のそんな言葉に、今日華は俯いたまま涙を零すと、
「あたしでも……なれますか?」
「ん……?」
「誰かを守れる…、誰かを助けられる…。そんな…ヒーローに!?」
水樹陸曹はソレを聞くと、傷ついた腕をゆっくり伸ばし、優しく今日華の頭を撫でると、
「なれるよ。キミも……必ず立派なヒーローになれる!!」
その言葉に、今日華の顔がパァ―ッ!!と明るくなった。
「ヒーローになれる。だ…だから、絶対に……生き延びるんだ……。何があっても……!」
水樹陸曹がそう言い終えると、古民家の入り口付近から、
「おおーい!! 誰かいますかぁ!? 自衛隊です!連絡を受けて、救助に来ました!!」
という、心強い声が響き渡った。
「ここは………?」
うっすらと開いた目に、眩しい光が入り込む。そのまま半開きのまま、静かに辺りを見渡していると、やがて慣れて来た瞳がハッキリとした視界を映し込んだ。
最初は眩しいと感じていたが、実際は思ったよりも薄暗く、青黒いフィルターを通して景色を見ている気分だ。
目に映るのは、ビーカーやフラスコといった…理科や研究で使うような道具が収納されている棚に、バーナーが備えてある実験用テーブル。
どうやら……小中学で使う理科室のように見えるが。
「あれっ…? あたし……泣いてる…!?」
フトッ!気づくと、自身の目から大粒の涙がいくつも零れ落ちている。
そう言えば、昔の夢を見ていた気がする。懐かしくて……凄く大切な夢を。
「どうだね…気分は?」
そこへ背後からいきなり声を掛けられ、思わず跳び上がる様に振り返る。
そこには、ロマンスグレーの髪に真っ白なスーツ姿の、初老の男性が立っていた。
「あたしは……いったい? ここは……どこ? なんですか……?」
「うむ、反応も正常。7人目でやっと成功したようだ。」
初老の男性は独り言のようにそう呟くと、
「今日からお前は、"ターディグラダ・ガール"となった……」
そう付け加え、不気味に微笑んだ。
「今日華(きょうか)、今日も学校へ行っていないんでしょ!? どこへ行っていたのよ!」
母親であろうか? 一人の中年女性が奥の台所から首を出し、玄関に向かって金切り声を上げていた。
「あなたが学校を行かずに、何処で何をしようと構わないけど、家族に迷惑を掛けるような事だけはしないで頂戴ね。お父さんの信用問題に関わるんだから。」
その言葉に、今日華と呼ばれた少女は手にしていた鞄を玄関口に放り投げると、
「わかってるよ……。なんかあっても、親の名なんか出さないから…」
そう呟くように言うと、再び表へ飛び出して行った。
ドンッ!!
玄関を出た瞬間に何かに当たった感触があり、見ると目の前で尻餅をついている小柄な人影が。
「痛ってぇ! なんだ…姉ちゃんか? いきなり飛び出して来るなよ!?」
それは4歳下の弟の淳史(あつし)。目障りなくらい、いつも元気に満ち溢れている。
その彼の手は、なにやら人形みたいな物を握り締めているが、
「なにそれ? 特撮物のフィギュア?」
「そうだよ! マスク・ド・ソルジャーのフィギュア!」ヽ(`▽´)/
「小五にもなって、まだ…そんなので喜んでいるんだ?」
「年なんか関係ないよ。ヒーローになって誰かを助けたい!守りたい! 男としての夢だよ!」
「ヒーロー……ねぇ? そんな者…いるわけないし、仮にいたとしても、あたしなんかには、何があっても助けに来ちゃ…くれそうにないね。」
今日華は吐き捨てる様にそう言うと、通りを駆け出していった。
たどり着いたところは、極普通の一軒家。
玄関口に備えられているインターホンを押すと、玄関口から今日華より少し年上っぽい少女が現れた。
「先輩、こんにちわ。すみません…今日も"貸して"いただけませんか?」
先輩の少女は、やや顔をしかめたが、
「いいけど、レンタル料と燃料代は貰うよ。」
「もちろんです。」
「それと、アンタ…"無免許"なんだから、絶対に捕まらないでよ! 捕まったら、貸したアタシも責任取らされるんだからね!?」
「はい。絶対にヘマしません!」
今日華はそう言って先輩から預かった半キャップヘルメットを被ると、裏口に置いてあったスクーターに跨り、勢い良く走り出していった。
肥後国県は古くからの街並みが残る土地。県庁所在地である肥後国市はそれなりに都市化が進んでいるが、それ以外は今でも山地や田園が多い、自然溢れる街並みである。
今日華の住む万代町もそんな場所で、今……、今日華はその田園の中の一本道を、風を切って進んでいた。
たとえスクーターでも、バイクはいい! 適度な緊張感と爽快感は、普段の生活では味わえない。
今日華は田園風景の中で、ポツンポツンと散らばる民家の中から、一件の古民家を選ぶと、前にスクーターを停め、座席下のメットインの中からコンビニ袋を取り出し、古民家の中へと入っていった。
今は誰も暮らしていないのだろう。柱も畳も埃に塗れ、生活感がまるで残っていない。
そのうち一か所に潰した段ボールを広げた所があり、今日華はその上に腰を下ろした。
「ここは、二か月前…あたしが見つけた、あたしだけの居場所。ホントは中学行っている時間もここに来たいけど、バイクが無いと、来るのきついもんね。」
今日華は一人そう呟きながら、コンビニ袋からペットボトルのコーラを取り出した。
「わかってるわよ。父親は県知事……、母親はその秘書。そんな優秀な両親から生まれた娘は、勉強はたいして良くない…、スポーツで目立つわけでも無い。ただの落ちこぼれ少女A。それでも学校へ行けば行ったで、陰でゴチョゴチョ言ってたり……スルーしたりする奴ばかり。あんまりにも鬱陶しかったから、そのうちの一人を引っ叩いたら、わんわん泣いて大騒ぎになって。泣くぐらいなら、最初からしょうもねぇ事すんな…つうの!」
溜息混じりでそう呟くと、コーラーを二口~三口と喉に通した。
ゲップ…ッ!
「多分、学校でも家でもあたしの事を、DQNとか……半グレとか言ってるんだろうな? 別にそんなんじゃねぇーけど、でも…どうでもいいかぁ。」
今日華はそう言うと、段ボールの上で大の字に寝転んだ。
「もし、あたしがこのまま帰らなかったら? 誰か悲しむ人……いんのかな? 学校には、まずいねぇーな。家は……? 無理だな。親も仕事や世間様の方が大事そうだし!」
それ以上口に出すのは辛いのか? 口を噤み、大の字のまま天井を見上げ、頭を空にするように、ゆっくり瞼を閉じた。
すると、
グラグラグラグラグラグラッ…………………
段ボール、いや…畳の下。いや……もっと地中深くから聞こえる振動のような音。
それはすぐに、古民家全体を大きく揺らし始めた。
違う! 揺れている…そんな生易しいものじゃない! 船だ! 嵐の中を漂う小船に乗っているような感覚だ!!
立ち上がる事もできず、寝転んだまま揺れに身を任す今日華。
目の前の天井裏から、パラパラと木屑のような物が落ちてくる。そしてそれはすぐに、
メキッ…メキッ…メキッ…!!
天井を支えていた木材が引き剥がされるように崩れ始め、雨のように降り注いでいった。
「いやァァァァァァァァァァつ!!」
咄嗟に頭だけは両手で塞ぐように庇ったが、崩れた木材の一本は、今日華の左ふくらはぎを押し潰すかのように振り落ちてきた。
「痛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁつ!!」
切り裂くような悲鳴が、古民家内を響き渡る。
――死んじゃう……、このまま死んじゃう……―
真っ黒の頭の中は、その言葉しか浮かんでこない。
やがて、揺れは少しづつ穏やかになり、おおよそ2分くらいで元の静けさに戻っていた。
それは、後に肥後国震災と呼ばれた…肥後国県と備前県を襲った大震災。特に今日華の住む万代町近辺は、震度7を計測したと言われている。
半壊した古民家の中で、頭を抱えたまま横になっている今日華。そして、その左足の上には重く圧し掛かったままの一本の木材。
幸いな事に、今日華自身は目を閉じたまま震えてはいるが、意識はしっかりしていた。
――誰か……、誰か……助けて。足が…痛い……―。
熱いような、それでいて麻痺しているような、不思議な感覚の左足。
だが今日華は、自分のその足がどうなっているのか? 見るのが怖かった。もし…折れていたら? いえ、それどころか…引き千切れていたら? そんな恐怖が頭を過り、直視する勇気はとても出せなかった。
しかし助けを待つにしても、遠くの方で救急車や消防車などのサイレンの音は聞こえるが、こちらに近づいてくる気配は一向に無い。
――そうだろうな……。所詮……あたしなんか、DQNのJC。誰にも気にも留められず、このまま死ぬんだ……―。
現実は、県警の警備部や所轄の職員。消防署のレスキューは当然……地元の消防団、そして民間人まで。
動ける者は決死の救助活動を行っていた。しかし、いかんせん…それでも人手が足りない。そのため、今日華が倒れている地域まで手が届かなかったのだ。
そんな事は知らず、助けてもらいたいけど、そんな気配が無い状況。その恐怖や悲しみが、今日華の心を、必要以上に絶望的にさせていた。
そんな絶望の奥底に落ち込んでいた今日華だが、しばらくすると、ある聞き慣れた音が耳に入って来た。
それは、遥か頭の上を飛び交う……ヘリコプターのプロペラ音。
そう。陸自(陸上自衛隊)のヘリが、救助活動にやってきたのだ。
今度は先程よりも、近い距離から人の声が飛び交っている。そして、それから十数分後……
「誰か……、ここにいますか!?」
明らかに、古民家の内部から聞こえる人の声!
「救助に来ました。誰かいますかぁ!?」
――助かる!?―
そう思った瞬間、溢れる涙。
「た……たすけて……。こ……ここにいる…」
喜びと、それに反して残っている恐怖心が、蚊の鳴くような声しか、今日華の口から出させなかった。
それでも、
「もう、大丈夫だ。助けに来たよ!」
ハッキリした口調が、頭のすぐ上から聞こえた。
恐る恐る目を開くと、目の前に迷彩服に身を包んだ、若い男性の姿が!
「陸上自衛隊西南方面隊 水樹二等陸曹です。どこか痛い所はないかい?」
暖かい眼差しから問われる言葉に、今日華は涙ながらに自身の左足を指さした。
「なるほど、天井の木材が落ちて来たんだね。でも、大丈夫。すぐに引き出してあげるよ。」
水樹陸曹はそう言うと、他の木材を利用して梃子の原理を応用し、今日華の左足に乗っている木材を持ち上げていった。そして、充分な高さまで持ち上げると、ゆっくりと彼女の足を引き抜いていった。
靴と靴下を脱がし止血等の応急手当をすると、他の材木を副木代わりにし、左足を固定した。
「あ…あたしの…足、もう……使えない…の?」
「いいや、大丈夫だ。幸い酷い骨折もしていないし、神経もまだ生きている。すぐに帰って手当すれば、また普通に歩けるようになるよ。」
その言葉は、今日華の心に充分な光を与えた。
「で…でも、どうして……あたしがここにいるって、わかったんですか?」
気持ちに余裕が出来たのか。思わず頭に浮かんだ疑問を口にした今日華。
「うん。たしかにこの近辺は、今はだれも暮らしていない民家ばかりだと聞いていたんだけど、ヘリから見下ろしていた時、スクーターらしき物が倒れているのを見つけてね。誰か来ているのかも知れないと思って、真っすぐ向かってきたんだ。」
そう言って陸曹は今日華に手を差し出すと、
「中…学生……くらいかな? 名前を訪ねていい?」
「か…鹿村……、きょ……今日華……です。」
「今日華ちゃんか!? 今日華ちゃん……、キミを見つけることができて、本当に良かった。さぁ、一緒に帰ろう!」
屈託のない笑顔で出されたその手に、今日華の目頭は再び熱くなってきた。
「はい……。」
今日華は素直に右手を差し出した。
だが、その時……!!!
グラッ! グラッ! グラッ! グラッ! グラッ!
先程と同じく……、いや…もしかしたらそれ以上かも知れない大きな揺れが、再び襲い掛かって来た!!
「今日華ちゃん、頭を低くして! 絶対に動かないように!!」
水樹陸曹はそう叫ぶと、今日華を守る様に、その身体の上に覆い被さった。
激しい揺れと、それによって崩れ落ちる古民家が、二人に情け容赦なく襲い掛かる。 目を瞑ってジッとしている今日華だが、その耳からは周りの崩れ落ちる音や……
「ぐっ!」「ぐぁっ!」
といった、水樹陸曹の短い悲鳴が耳に入って来る。
やがて二分程経つと、再び元の静けさに戻っていた。
幸いな事に、今度は今日華の身体に痛みは一つも無い。
「陸曹さん……、もう…大丈夫ですか?」
今日華はそう言いながら、恐る恐る目を開いた。
「キャアアアアアアッ!?」
その目に映ったのは、額や全身から血を流したまま、今日華に覆い被さるように立っていた、水樹陸曹の姿。
そして、そんな状態なのに水樹陸曹はゆっくりと口を開き、
「今日華ちゃん……怪我は、ない…かい……?」
と尋ねてきたのだ。
「は…はい。あたしは…大丈夫です!」
「そ…そうか、それは良かった……」
水樹陸曹はそう答えると、その場に崩れるように倒れ落ちた。
「陸曹さん!!?」
よく見ると、彼の背中から胸にかけて、一本の材木の破片が真っ直ぐ貫いている。
「大丈夫だよ。俺は大丈夫……。それより、キミにお願いがあるんだ。聞いてもらえるかな?」
「はい! あたしに出来ることなら……なんでも!」
「ありがとう…。なに……難しい事じゃ…ない。僕のベルトのポーチに携帯通信器が入っている。それを出してくれないか?」
陸曹の言葉通り、確かにポーチには昔の携帯電話のような通信器が入っていた。今日華はソレを出すと、
「そうしたら……、スイッチを押して…僕の口元に近づけて欲しい……」
「わかりました。」
今日華は、通信器にあるスイッチを押して、それを陸曹の口元に近づけた。すると陸曹は、
「こちら……水樹二等陸曹…。負傷した少女を発見……。至急救援を願います……」
と話しだした。
陸曹の言葉が終わると通信器からは、
「了解。大至急…応援をそちらに回す」
と返事が返る。
「これで……僕の仲間が…、助けに来てくれる……。だから……キミは安心して待っているといいよ……」
その言葉に、今日華は今まで以上に涙を零すと、
「ごめんなさい……。あたしを助けるために…こんな事に! ごめんなさい…、あたしがこんなところへ来なければ……!!」
と、まるで土下座するように泣き始めた。
すると陸曹は静かに首を振り、
「キミは……何も悪くない…。これが……僕の役割…なんだ。たとえ…誰がどんな場所にいても……。一人でも多くの命を守り……助ける。それが……僕の……任務なんだよ。だから…、キミは…何も気にすることは無い……」
そう言って、血の気の引いた顔にも拘わらず、優しい笑顔を見せた。
「ヒーロー………」
いきなり、今日華がポツリと呟いた。
「えっ…?」
「陸曹さんって、ヒーローみたいですね。」
「この僕が…ヒーロー……? それは…自衛官にとって、凄く嬉しい……言葉だよ。」
「あたしは、親にも……学校の友達や先生にも……。誰からも見放されていると思っていた。だから……、あたしなんか……誰も…見向きもしない。誰も助けてくれない。そう…思っていた。でも………」
今日華はここまで言うと、陸曹の目を強く見つめた。
「ヒーローは、いた!! そして…あたしを守りに! 助けに来てくれた!!」
その言葉を聞いた水樹陸曹は、しばらく優し気に微笑んでいたが、
「でも、ヒーローっていうのは…、誰にでも…なれるんじゃ…ないかな?」
「え……!?」
「誰かを守りたい……。誰かを助けたい……。そう思って行動したとき、その時…その人は、一人のヒーローなんだ……。僕はそう思っている。」
水樹陸曹のそんな言葉に、今日華は俯いたまま涙を零すと、
「あたしでも……なれますか?」
「ん……?」
「誰かを守れる…、誰かを助けられる…。そんな…ヒーローに!?」
水樹陸曹はソレを聞くと、傷ついた腕をゆっくり伸ばし、優しく今日華の頭を撫でると、
「なれるよ。キミも……必ず立派なヒーローになれる!!」
その言葉に、今日華の顔がパァ―ッ!!と明るくなった。
「ヒーローになれる。だ…だから、絶対に……生き延びるんだ……。何があっても……!」
水樹陸曹がそう言い終えると、古民家の入り口付近から、
「おおーい!! 誰かいますかぁ!? 自衛隊です!連絡を受けて、救助に来ました!!」
という、心強い声が響き渡った。
「ここは………?」
うっすらと開いた目に、眩しい光が入り込む。そのまま半開きのまま、静かに辺りを見渡していると、やがて慣れて来た瞳がハッキリとした視界を映し込んだ。
最初は眩しいと感じていたが、実際は思ったよりも薄暗く、青黒いフィルターを通して景色を見ている気分だ。
目に映るのは、ビーカーやフラスコといった…理科や研究で使うような道具が収納されている棚に、バーナーが備えてある実験用テーブル。
どうやら……小中学で使う理科室のように見えるが。
「あれっ…? あたし……泣いてる…!?」
フトッ!気づくと、自身の目から大粒の涙がいくつも零れ落ちている。
そう言えば、昔の夢を見ていた気がする。懐かしくて……凄く大切な夢を。
「どうだね…気分は?」
そこへ背後からいきなり声を掛けられ、思わず跳び上がる様に振り返る。
そこには、ロマンスグレーの髪に真っ白なスーツ姿の、初老の男性が立っていた。
「あたしは……いったい? ここは……どこ? なんですか……?」
「うむ、反応も正常。7人目でやっと成功したようだ。」
初老の男性は独り言のようにそう呟くと、
「今日からお前は、"ターディグラダ・ガール"となった……」
そう付け加え、不気味に微笑んだ。
| ターディグラダ・ガール | 14:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑