2016.07.30 Sat
ターディグラダ・ガール ニ章
翌日、新聞やネットでは、『ターディグラダ・ガール、未確認生物を撃退。女子高生を無事救出!!」と騒ぎ立てていた。
そしてここ、神田川県警、警備部警備課では……。
「和(かのう)はいるか!?」中年男性が辺りを見渡しながら声をかける。
それに応じるように腰を上げた一人の青年。
「おはようございます、佐々木警備部長」と頭を下げた。
和 滝也(かのう たきや)28歳、階級は警部補。ヒョロっとした長身で、なで肩。生まれてこのかた、怒ったことなど一度も無いのではないかと思えるような優しい顔立ち。
その姿が示すように温和な性格で、本来…他人と争ったり競ったりすることは好きではない。昭和気質の祖父母からの強引な勧めで、望んでもいないのに公務員試験を受け、こうして警察官として勤務している。
「ターディグラダ・ガール、凄い評判じゃないか?」
中年男性……佐々木部長は、嬉しいような困ったような複雑な笑みを浮かべ、新聞を手渡した。
「半年くらい前から出没しはじめた未確認生物。獣のような凶暴さと、悪魔のような冷酷な知能を持ち合わせ、無差別に人間を殺傷する化け物。その未知数の能力に、多くの警官の命が奪われ、誰もが心苦しい日々でした。」
新聞記事を眺めながら、和は呟くように答える。
「だが、彼女をCCSに配属してから、それは一変した。今では警察の誇りどころか、市民の希望でもある。」
「はい。でも……ここ数日、未確認生物の出現数は、かなり頻繁になっております。いくら彼女でも、その負担は相当なものだと思います。」
「たしかに……。いくら彼女が、あの”体質”だと言っても、アレほどの化け物との連日の戦闘。そして、特殊機動服による筋肉負担。かなり堪えているかもしれんな。」
「はい。ですので、勤務時間の調整。更に彼女へのサポート体勢をもっと強めていきたいのですが……?」
「うむ、勤務時間の調整は君にまかせる。私はサポート面を藤岡本部長とも相談してみよう。」
「よろしくお願いいたします!」和はそう言って、深々と頭を下げた。
CCS……。県警警備部警備課に新設された、未確認生物対策係(Cryptid Coping Squad)の略称である。
和 滝也が係長を努め、対策室は、元々……地下にあった用具室を改造して使用している。県警本部内にも関わらず常に施錠されており、関係者以外は立ち入りとなっている。
室内はだいたい14~5畳くらいの広さ。そこに医務用ベッドに医療機材、机三台、資料棚、更に何だかよく判らない機器が詰め込まれているため、あまり広くは感じられない。
丁度今、二人の人物が部屋を使用していた。
まず一人目は、パッと見、小~中学校の生徒と見間違えてもおかしくない程の小柄な女性だが、実年齢は29歳。長い髪を後で無造作に束ねており、ニットのワンピースの上に白衣をまとっている。
まるっきり喫煙経験は無いのに、なぜか禁煙パイプを咥えており、時折……べっ甲フレームの眼鏡を押し上げながら、黙々とデスクトップパソコンに向かっている。
そんな彼女の名は瑞鳥川弘子(みどりかわひろこ)。本来は県警本部内、科学捜査研究所の職員だが、理由あってCCSに派遣されている。
ちなみに今、彼女が見ているパソコン画面にはニュースサイトが映しだされており、ターディグラダ・ガールの話題が載っていた。
「ちょっと前までは、人喰い蜘蛛女だの、羽の生えた巨大な蛇だの、挙句の果てには……踊る招き猫とか、ワケの判らないモノまで都市伝説として話題になっていたのに、ここ最近では未確認生物と、それと戦うターディグラダ・ガールの話ばかりだね!」
火がついているわけでもない禁煙パイプを指で摘み、ふぅ~っと息を吐き、「もっとも、その大人気のターディグラダ・ガールの中の人は、アタシの手の中にあるけどね!!」と、にへら~っ♪と笑みを浮かべる。
すると……、
「ありません!!」
間髪入れず、部屋の奥のカーテンの仕切りから、反論する声が入った。
同時に、ピピピッ……とタイマー音が鳴り響く。瑞鳥川は軽々と腰を上げ、仕切りのカーテンを開き中を覗くと、そこには医務用ベットの上で横になった、一人の若い女性の姿があった。
背丈は標準、引き締まった体つきで、雰囲気的には体育会系の健康優良児といった感じだろう。黒いショートヘアにキリリと上がった眉毛。ツリ目でもなく、タレ目でもなく、パッチリとしていて、それでいて凛とした力強さを感じさせる目つきと瞳。スラリとしてやや高めの鼻筋。
一言で言えば、健康的な美人がそこにいたのだ。しかも……
「やっぱ、橘ちゃんは……白がよく似合うねぇ~♪」と瑞鳥川の言葉通り、白のスポーツブラに、白のボクサータイプショーツという、見事な下着姿!
……と言っても、何も好き好んで裸で寝ていたわけではない。その露出した肌のアチコチには、無数の電極が貼られ、その線の先は心電図計測器や、その他色々な医療機器に接続されている。ある任務が一区切りつくと、こうして体調を検査することが決められているのだ。
この彼女こそ物語の主人公で、名前は橘明日香(たちばなあすか)。
何を隠そう、あの特殊機動服を着て未確認生物と戦ったTG01こと、話題のターディグラダ・ガール。その人である。
瑞鳥川は、そんな彼女の脇に立ち、全身に貼り付けられた電極を外しながら語りだした。
「橘明日香、現在22歳。神田川県丘福市東区出身で、神田川大学遺伝子工学教授であった橘東平(たちばなとうへい)とその妻、留理の間に生まれる。母……留理は明日香が12歳の頃、病気で他界。その後、県立樫井高校普通科に進学。同時期、自動二輪車の免許を所得。数々のモトクロスやトライアル競技に出場。高校卒業と同時に県警察学校へ入学。卒業後、東署配属となり約一年間の交番勤務。翌年県警本部警備部警備課へ転属。同年に導入された、災害対策用白バイ『XT250P』の隊員となる。本年9月、父……東平も不慮の事故で他界。そして本年10月付けで、同課未確認生物対策係へ異動。強化機動隊員に任命される。……と」
「な…な……なんで、私の経歴をそんな詳しく知っているんですかぁ~っ!?」顔を真っ赤に紅潮させ、慌てふためく明日香。
瑞鳥川は外した電極を棚の引き出しに片付けると、おもむろに人差し指を立て、明日香の腹部をなぞるように触れた。
「アタシは、橘ちゃんのこと……、なんでも知っているよ。例えば、好きな男性のタイプは、オダギリジョーだとか……」
「ちょ……ちょ……っ!?」
「初恋は小学六年生の頃、同じクラスの高橋くんだとか……」
「ぃやァァァっ!!ど…どこで……そんなことまで……!?」
「そして……」瑞鳥川は南下した指先を、そのまま白いショーツの上に乗せると、「まだ、処女なんでしょ!?」満面の笑みで舌なめずりをした。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!!!」
明日香は絶叫を上げ、まるでビックリ箱から飛び出した人形のように跳ね起きると、全速力で壁際へ後退した。
「アタシさぁ~!橘ちゃんみたいな女の子って、どァァァァい好きィィなんだよね♪」
「おかしいですよ……!おかしいですよ……っ、瑞鳥川さん!!」
「アタシ、橘ちゃんの処女、欲しいなぁ~~~♪」
「あ…あ…あ…あげられるわけ、な…な……ないでしょ……!? て、言うか……女同士だし……!?」
それに対し、瑞鳥川は冷ややかな笑みを浮かべながら、ピンッ!と中指を立て「あら? そんなこと……アタシのアレのテクニックと科学力を使えば、どうとでもなるわ~ぁ!」と言い、ゆっくりと明日香へ迫っていく。
「嫌だぁ~っ!嫌だぁ~ッ! お願いです、向こう行ってェェェっ!!」
もはや明日香は狂乱状態。
「冗談よ~、冗談!」ちょっとやり過ぎたかな?と言わんばかりにペロリと舌をだし、瑞鳥川は戯けてみせた。
「し…信じて、いいんですね……?」
「もちろん!」
それを聞いた明日香は大きく溜息をつき、ドスンと腰を抜かしたように座り込んだ。そんな姿を見て瑞鳥川は「ホント、可愛い。食べちゃいたいくらい♪」と蚊の鳴くような声で呟いた。
すると、コンコン!と扉を叩く音が聞こえた。同時に、「和だ。入っても大丈夫か?」と問いかけられる。
「あーっ、すんません!橘ちゃん……今、眩しい裸体姿なんで、もう少しだけ待ってもらえます?」と返事を返す瑞鳥川。
「もうちょっと、他に言いようがないんですか?」と紅潮した表情で突っ込みながら、着替えを始める明日香。
ワイシャツ、ネクタイに、紺色のブレザーに同色のズボン。一般的に女性警察官はスカートというイメージはあるが、実際はキュロットやズボンの着用も認められている。明日香は通常、未確認生物探索や災害地区の見回りなどで、災害対策用白バイXT250P-Sの運転任務が多いため、殆どズボンを着用している。
「お待たせしました、どうぞ!」着替えの終えた明日香は、扉の向こうの和に向かって声を掛けた。
ガチャッ! それを聞き、ヒョロリとした和が入室してくる。
「橘くん、お疲れ様。身体の具合は、問題ないか?」優しい微笑みで問いかける和。
「ハイ、大丈夫です!」明るく、元気よく返す明日香。その言葉を聞き、和はチラリと瑞鳥川に視線を送る。瑞鳥川は、さり気なく指でOKのサインを返す。
「そうか。まぁ、無理をしないで、何かあったらすぐに言ってくれ。」
「はい。」
「…で、早々悪いけど、中央区で未確認生物の目撃情報が相次いでいる。今日は、付近の聞き込みと探索を中心で廻ってくれ」
「了解しました。では、早速聞き込みに廻ります!」明日香は一礼すると、軽い足取りで部屋を飛び出して行った。……と思いきや、数歩進んで引き返してきた。
「んっ!?」思わず首を傾げる和。
「係長、一つお尋ねしたいことがあるのですが……?」
「なんかな?」
「私の戦闘時の『ターディグラダ・ガール』っていう名称。アレ……本部がマスコミに公表したんですよね?」
「そうだけど、それが……なにか?」
そう聞くと明日香は、まるで河豚のように頬を膨らませ、「アレ……、必要なんですか!? あの名称、なんとか……なりませんか!?」と捲し立てた。
その勢いに負けたのか、一~二歩引いてしまう和。
「ほ…本部としては、キミのことは出来る限り機密事項にしたいんだけど、やはり市中で戦闘したりするので、どうしても隠し切れない部分があるっていうのは、わかるよね?」
「はい。」
「そこで、どうせ隠し切れないのならば、逆にヒーロー的な偶像を全面に押し出してしまった方が、却ってキミ個人の存在は目立たなくなると判断したんだ」
「それはわかるんです!私が言いたいのは……、あの名前です! ターディグラダって、『クマムシ』のことですよね!?」
「そ……そうだけど、クマムシ……嫌いか? ズングリムックリしていて、ワリと女の子ウケはいいと聞いたけど?」
その問いに、明日香はうつむき加減でボソボソ……と、「私……虫だけは、ダメなんです……。」と答えた。
「え…?え…? 虫って、たしかにクマムシは虫だけど、正確には『緩歩動物』と言って、普通の虫とは少し違うぞ?」
「私にとって、足が六本以上あるものは、すべて”虫”なんです!!」明日香は、今にも噛み付きそうな勢いで反論してくる。
「六本以上は……って、タコやイカ……」と、ここまで言いかけた和だが、明日香のヤンキーよりも凄みのある睨みが目に入り、慌てて口を閉じた。
「周りからクマムシって言われるだけで、鳥肌が立つんですよ!」
「ん、まぁ……、気持ちはわかるけど、あのネーミングが一人歩きしているお陰で、キミや僕らの素性が目立たなくなっているのも事実なんだ。一種のコードネームと思って、もうしばらく我慢してくれないか? 頼む!!」
和はそう言うと、両手を合わせ拝むように明日香に頭を下げた。
それを見た明日香。渋々と溜息をつくと、「わかりました。係長がそうまで言うなら、もう少し我慢します……」と呟くように言い、踵を返し再び職務へと戻っていった。
明日香が立ち去ったのを確認し、扉に施錠すると、「ところで、ホントのところ……橘くんの状態はどうなんですか?」と、和は瑞鳥川に問いかけた。
瑞鳥川はパソコンを操作し、何らかのデータらしき画面を表示すると、「まぁ、相変わらず異常なほどの回復力だね。」と苦笑しながら返す。
「そもそも、アタシが開発した『特殊機動服』は、電気信号で筋力の働きを増強させ、通常の十倍ものの力を発揮することができる。だけど、自分で言うのもなんだけど……、まだ未完成品。筋肉の負担が大きすぎて、並の人間なら一時間の使用で、十日から二週間は指一本動かせなくなる。」と、パソコン画面を指差しながら話していく。
そして、更にパソコンを操作し、明日香の画像とデータを表示すると……
「だが、橘ちゃんは一時間の使用後、一~二時間の休息を取ることで、八割から九割くらい筋力組織を回復させることができる。」と答えた。そして、
「単純計算で言えば、あの子は常人の約150倍程の回復能力を持っているということね。ソレ以外にも何かありそうだけどね。まぁ……そんな訳だから、このシステムを使った『強化機動隊員』に選出された!というのが、アタシの見立てだけど……どう?」と付け加えた。
「一応機密事項なので、詳しいことは追々説明していきますが、現状のところ、そういう事です。」
「OK~♪ だけどね、問題はここから! たしかに異常な能力の持ち主だけど、でも……やはり人間。蓄積しているよ、ダメージが!」と、瑞鳥川はパソコン画面を指差しながら話を続ける。そこには右下がりのグラフが映しだされていた。
「見ての通り、筋力回復率。神経伝達速度。思考力。全ての値が低下している。ぶっちゃけ言えば、少なくとも一~二週間は機動服の着用や戦闘を避け、休ませないとヤバイよ!……ってこと」
「たしかに、僕もそれは考えていました。先程警備部長にも話しをしましたが、早急に彼女が身体を休められるように調整してみますよ。」
「そうしてやんな! ま……っ!公務員である以上、むやみに休日を増やせないだろうから、この部屋で仮眠できるように時間配分をしてやれば、いいんじゃね!?」禁煙パイプをスカスカ吸いながら、嬉しそうに提案する瑞鳥川。
「……で、その寝ている姿を撮影して、またお持ち帰りする気ですか?」
「なんのことかな~~?」
「知ってるんですよ!橘くんの検査中の画像とか、録画して持って帰っているのは!?」
「あらま……!バレてた!?」
「システム管理と合わせて、橘くんの体調管理をお願いしているから、あまり強くは言いませんでしたけど、本来なら情報漏えいとプライバシーの侵害に当たるんですよ!!」
「だって、仕方ないじゃん。お宝級の『おかず画像』だもん!」
「お…おか……ず!?」
「ウンッ! 毎晩、楽しませてもらってる♪」悪びれもせず、にへら~っ♪と笑みを浮かべる瑞鳥川。すると……
ガンッ!!! 机のペンなどが一瞬宙に浮くくらいの勢いで、天板に握りこぶしを叩き下ろした和。
しかも湯気が出そうなくらい顔を紅潮させているが、「と…と……とにかく、今後……勝手に記録を、も……持ち帰るのは…禁止……ですからね!!」と、動揺しているところを見ると、別に本気で怒っているわけではないようだ。
「へ~~~い……」それに対し、間延びした声で返答する瑞鳥川。
「で…では……、僕はちょ……ちょっと、打ち合わせに行ってきます……から、留守をよ…よ……よろしくお願いいたします……」
和は、慌てふためいた様子で部屋から出て行った。
それを見た瑞鳥川、「あらま!? もしかして彼、想像して……立っちゃった!?」と呟くと、再び『にへら~っ!』と笑みを浮かべた。
そしてここ、神田川県警、警備部警備課では……。
「和(かのう)はいるか!?」中年男性が辺りを見渡しながら声をかける。
それに応じるように腰を上げた一人の青年。
「おはようございます、佐々木警備部長」と頭を下げた。
和 滝也(かのう たきや)28歳、階級は警部補。ヒョロっとした長身で、なで肩。生まれてこのかた、怒ったことなど一度も無いのではないかと思えるような優しい顔立ち。
その姿が示すように温和な性格で、本来…他人と争ったり競ったりすることは好きではない。昭和気質の祖父母からの強引な勧めで、望んでもいないのに公務員試験を受け、こうして警察官として勤務している。
「ターディグラダ・ガール、凄い評判じゃないか?」
中年男性……佐々木部長は、嬉しいような困ったような複雑な笑みを浮かべ、新聞を手渡した。
「半年くらい前から出没しはじめた未確認生物。獣のような凶暴さと、悪魔のような冷酷な知能を持ち合わせ、無差別に人間を殺傷する化け物。その未知数の能力に、多くの警官の命が奪われ、誰もが心苦しい日々でした。」
新聞記事を眺めながら、和は呟くように答える。
「だが、彼女をCCSに配属してから、それは一変した。今では警察の誇りどころか、市民の希望でもある。」
「はい。でも……ここ数日、未確認生物の出現数は、かなり頻繁になっております。いくら彼女でも、その負担は相当なものだと思います。」
「たしかに……。いくら彼女が、あの”体質”だと言っても、アレほどの化け物との連日の戦闘。そして、特殊機動服による筋肉負担。かなり堪えているかもしれんな。」
「はい。ですので、勤務時間の調整。更に彼女へのサポート体勢をもっと強めていきたいのですが……?」
「うむ、勤務時間の調整は君にまかせる。私はサポート面を藤岡本部長とも相談してみよう。」
「よろしくお願いいたします!」和はそう言って、深々と頭を下げた。
CCS……。県警警備部警備課に新設された、未確認生物対策係(Cryptid Coping Squad)の略称である。
和 滝也が係長を努め、対策室は、元々……地下にあった用具室を改造して使用している。県警本部内にも関わらず常に施錠されており、関係者以外は立ち入りとなっている。
室内はだいたい14~5畳くらいの広さ。そこに医務用ベッドに医療機材、机三台、資料棚、更に何だかよく判らない機器が詰め込まれているため、あまり広くは感じられない。
丁度今、二人の人物が部屋を使用していた。
まず一人目は、パッと見、小~中学校の生徒と見間違えてもおかしくない程の小柄な女性だが、実年齢は29歳。長い髪を後で無造作に束ねており、ニットのワンピースの上に白衣をまとっている。
まるっきり喫煙経験は無いのに、なぜか禁煙パイプを咥えており、時折……べっ甲フレームの眼鏡を押し上げながら、黙々とデスクトップパソコンに向かっている。
そんな彼女の名は瑞鳥川弘子(みどりかわひろこ)。本来は県警本部内、科学捜査研究所の職員だが、理由あってCCSに派遣されている。
ちなみに今、彼女が見ているパソコン画面にはニュースサイトが映しだされており、ターディグラダ・ガールの話題が載っていた。
「ちょっと前までは、人喰い蜘蛛女だの、羽の生えた巨大な蛇だの、挙句の果てには……踊る招き猫とか、ワケの判らないモノまで都市伝説として話題になっていたのに、ここ最近では未確認生物と、それと戦うターディグラダ・ガールの話ばかりだね!」
火がついているわけでもない禁煙パイプを指で摘み、ふぅ~っと息を吐き、「もっとも、その大人気のターディグラダ・ガールの中の人は、アタシの手の中にあるけどね!!」と、にへら~っ♪と笑みを浮かべる。
すると……、
「ありません!!」
間髪入れず、部屋の奥のカーテンの仕切りから、反論する声が入った。
同時に、ピピピッ……とタイマー音が鳴り響く。瑞鳥川は軽々と腰を上げ、仕切りのカーテンを開き中を覗くと、そこには医務用ベットの上で横になった、一人の若い女性の姿があった。
背丈は標準、引き締まった体つきで、雰囲気的には体育会系の健康優良児といった感じだろう。黒いショートヘアにキリリと上がった眉毛。ツリ目でもなく、タレ目でもなく、パッチリとしていて、それでいて凛とした力強さを感じさせる目つきと瞳。スラリとしてやや高めの鼻筋。
一言で言えば、健康的な美人がそこにいたのだ。しかも……
「やっぱ、橘ちゃんは……白がよく似合うねぇ~♪」と瑞鳥川の言葉通り、白のスポーツブラに、白のボクサータイプショーツという、見事な下着姿!
……と言っても、何も好き好んで裸で寝ていたわけではない。その露出した肌のアチコチには、無数の電極が貼られ、その線の先は心電図計測器や、その他色々な医療機器に接続されている。ある任務が一区切りつくと、こうして体調を検査することが決められているのだ。
この彼女こそ物語の主人公で、名前は橘明日香(たちばなあすか)。
何を隠そう、あの特殊機動服を着て未確認生物と戦ったTG01こと、話題のターディグラダ・ガール。その人である。
瑞鳥川は、そんな彼女の脇に立ち、全身に貼り付けられた電極を外しながら語りだした。
「橘明日香、現在22歳。神田川県丘福市東区出身で、神田川大学遺伝子工学教授であった橘東平(たちばなとうへい)とその妻、留理の間に生まれる。母……留理は明日香が12歳の頃、病気で他界。その後、県立樫井高校普通科に進学。同時期、自動二輪車の免許を所得。数々のモトクロスやトライアル競技に出場。高校卒業と同時に県警察学校へ入学。卒業後、東署配属となり約一年間の交番勤務。翌年県警本部警備部警備課へ転属。同年に導入された、災害対策用白バイ『XT250P』の隊員となる。本年9月、父……東平も不慮の事故で他界。そして本年10月付けで、同課未確認生物対策係へ異動。強化機動隊員に任命される。……と」
「な…な……なんで、私の経歴をそんな詳しく知っているんですかぁ~っ!?」顔を真っ赤に紅潮させ、慌てふためく明日香。
瑞鳥川は外した電極を棚の引き出しに片付けると、おもむろに人差し指を立て、明日香の腹部をなぞるように触れた。
「アタシは、橘ちゃんのこと……、なんでも知っているよ。例えば、好きな男性のタイプは、オダギリジョーだとか……」
「ちょ……ちょ……っ!?」
「初恋は小学六年生の頃、同じクラスの高橋くんだとか……」
「ぃやァァァっ!!ど…どこで……そんなことまで……!?」
「そして……」瑞鳥川は南下した指先を、そのまま白いショーツの上に乗せると、「まだ、処女なんでしょ!?」満面の笑みで舌なめずりをした。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!!!」
明日香は絶叫を上げ、まるでビックリ箱から飛び出した人形のように跳ね起きると、全速力で壁際へ後退した。
「アタシさぁ~!橘ちゃんみたいな女の子って、どァァァァい好きィィなんだよね♪」
「おかしいですよ……!おかしいですよ……っ、瑞鳥川さん!!」
「アタシ、橘ちゃんの処女、欲しいなぁ~~~♪」
「あ…あ…あ…あげられるわけ、な…な……ないでしょ……!? て、言うか……女同士だし……!?」
それに対し、瑞鳥川は冷ややかな笑みを浮かべながら、ピンッ!と中指を立て「あら? そんなこと……アタシのアレのテクニックと科学力を使えば、どうとでもなるわ~ぁ!」と言い、ゆっくりと明日香へ迫っていく。
「嫌だぁ~っ!嫌だぁ~ッ! お願いです、向こう行ってェェェっ!!」
もはや明日香は狂乱状態。
「冗談よ~、冗談!」ちょっとやり過ぎたかな?と言わんばかりにペロリと舌をだし、瑞鳥川は戯けてみせた。
「し…信じて、いいんですね……?」
「もちろん!」
それを聞いた明日香は大きく溜息をつき、ドスンと腰を抜かしたように座り込んだ。そんな姿を見て瑞鳥川は「ホント、可愛い。食べちゃいたいくらい♪」と蚊の鳴くような声で呟いた。
すると、コンコン!と扉を叩く音が聞こえた。同時に、「和だ。入っても大丈夫か?」と問いかけられる。
「あーっ、すんません!橘ちゃん……今、眩しい裸体姿なんで、もう少しだけ待ってもらえます?」と返事を返す瑞鳥川。
「もうちょっと、他に言いようがないんですか?」と紅潮した表情で突っ込みながら、着替えを始める明日香。
ワイシャツ、ネクタイに、紺色のブレザーに同色のズボン。一般的に女性警察官はスカートというイメージはあるが、実際はキュロットやズボンの着用も認められている。明日香は通常、未確認生物探索や災害地区の見回りなどで、災害対策用白バイXT250P-Sの運転任務が多いため、殆どズボンを着用している。
「お待たせしました、どうぞ!」着替えの終えた明日香は、扉の向こうの和に向かって声を掛けた。
ガチャッ! それを聞き、ヒョロリとした和が入室してくる。
「橘くん、お疲れ様。身体の具合は、問題ないか?」優しい微笑みで問いかける和。
「ハイ、大丈夫です!」明るく、元気よく返す明日香。その言葉を聞き、和はチラリと瑞鳥川に視線を送る。瑞鳥川は、さり気なく指でOKのサインを返す。
「そうか。まぁ、無理をしないで、何かあったらすぐに言ってくれ。」
「はい。」
「…で、早々悪いけど、中央区で未確認生物の目撃情報が相次いでいる。今日は、付近の聞き込みと探索を中心で廻ってくれ」
「了解しました。では、早速聞き込みに廻ります!」明日香は一礼すると、軽い足取りで部屋を飛び出して行った。……と思いきや、数歩進んで引き返してきた。
「んっ!?」思わず首を傾げる和。
「係長、一つお尋ねしたいことがあるのですが……?」
「なんかな?」
「私の戦闘時の『ターディグラダ・ガール』っていう名称。アレ……本部がマスコミに公表したんですよね?」
「そうだけど、それが……なにか?」
そう聞くと明日香は、まるで河豚のように頬を膨らませ、「アレ……、必要なんですか!? あの名称、なんとか……なりませんか!?」と捲し立てた。
その勢いに負けたのか、一~二歩引いてしまう和。
「ほ…本部としては、キミのことは出来る限り機密事項にしたいんだけど、やはり市中で戦闘したりするので、どうしても隠し切れない部分があるっていうのは、わかるよね?」
「はい。」
「そこで、どうせ隠し切れないのならば、逆にヒーロー的な偶像を全面に押し出してしまった方が、却ってキミ個人の存在は目立たなくなると判断したんだ」
「それはわかるんです!私が言いたいのは……、あの名前です! ターディグラダって、『クマムシ』のことですよね!?」
「そ……そうだけど、クマムシ……嫌いか? ズングリムックリしていて、ワリと女の子ウケはいいと聞いたけど?」
その問いに、明日香はうつむき加減でボソボソ……と、「私……虫だけは、ダメなんです……。」と答えた。
「え…?え…? 虫って、たしかにクマムシは虫だけど、正確には『緩歩動物』と言って、普通の虫とは少し違うぞ?」
「私にとって、足が六本以上あるものは、すべて”虫”なんです!!」明日香は、今にも噛み付きそうな勢いで反論してくる。
「六本以上は……って、タコやイカ……」と、ここまで言いかけた和だが、明日香のヤンキーよりも凄みのある睨みが目に入り、慌てて口を閉じた。
「周りからクマムシって言われるだけで、鳥肌が立つんですよ!」
「ん、まぁ……、気持ちはわかるけど、あのネーミングが一人歩きしているお陰で、キミや僕らの素性が目立たなくなっているのも事実なんだ。一種のコードネームと思って、もうしばらく我慢してくれないか? 頼む!!」
和はそう言うと、両手を合わせ拝むように明日香に頭を下げた。
それを見た明日香。渋々と溜息をつくと、「わかりました。係長がそうまで言うなら、もう少し我慢します……」と呟くように言い、踵を返し再び職務へと戻っていった。
明日香が立ち去ったのを確認し、扉に施錠すると、「ところで、ホントのところ……橘くんの状態はどうなんですか?」と、和は瑞鳥川に問いかけた。
瑞鳥川はパソコンを操作し、何らかのデータらしき画面を表示すると、「まぁ、相変わらず異常なほどの回復力だね。」と苦笑しながら返す。
「そもそも、アタシが開発した『特殊機動服』は、電気信号で筋力の働きを増強させ、通常の十倍ものの力を発揮することができる。だけど、自分で言うのもなんだけど……、まだ未完成品。筋肉の負担が大きすぎて、並の人間なら一時間の使用で、十日から二週間は指一本動かせなくなる。」と、パソコン画面を指差しながら話していく。
そして、更にパソコンを操作し、明日香の画像とデータを表示すると……
「だが、橘ちゃんは一時間の使用後、一~二時間の休息を取ることで、八割から九割くらい筋力組織を回復させることができる。」と答えた。そして、
「単純計算で言えば、あの子は常人の約150倍程の回復能力を持っているということね。ソレ以外にも何かありそうだけどね。まぁ……そんな訳だから、このシステムを使った『強化機動隊員』に選出された!というのが、アタシの見立てだけど……どう?」と付け加えた。
「一応機密事項なので、詳しいことは追々説明していきますが、現状のところ、そういう事です。」
「OK~♪ だけどね、問題はここから! たしかに異常な能力の持ち主だけど、でも……やはり人間。蓄積しているよ、ダメージが!」と、瑞鳥川はパソコン画面を指差しながら話を続ける。そこには右下がりのグラフが映しだされていた。
「見ての通り、筋力回復率。神経伝達速度。思考力。全ての値が低下している。ぶっちゃけ言えば、少なくとも一~二週間は機動服の着用や戦闘を避け、休ませないとヤバイよ!……ってこと」
「たしかに、僕もそれは考えていました。先程警備部長にも話しをしましたが、早急に彼女が身体を休められるように調整してみますよ。」
「そうしてやんな! ま……っ!公務員である以上、むやみに休日を増やせないだろうから、この部屋で仮眠できるように時間配分をしてやれば、いいんじゃね!?」禁煙パイプをスカスカ吸いながら、嬉しそうに提案する瑞鳥川。
「……で、その寝ている姿を撮影して、またお持ち帰りする気ですか?」
「なんのことかな~~?」
「知ってるんですよ!橘くんの検査中の画像とか、録画して持って帰っているのは!?」
「あらま……!バレてた!?」
「システム管理と合わせて、橘くんの体調管理をお願いしているから、あまり強くは言いませんでしたけど、本来なら情報漏えいとプライバシーの侵害に当たるんですよ!!」
「だって、仕方ないじゃん。お宝級の『おかず画像』だもん!」
「お…おか……ず!?」
「ウンッ! 毎晩、楽しませてもらってる♪」悪びれもせず、にへら~っ♪と笑みを浮かべる瑞鳥川。すると……
ガンッ!!! 机のペンなどが一瞬宙に浮くくらいの勢いで、天板に握りこぶしを叩き下ろした和。
しかも湯気が出そうなくらい顔を紅潮させているが、「と…と……とにかく、今後……勝手に記録を、も……持ち帰るのは…禁止……ですからね!!」と、動揺しているところを見ると、別に本気で怒っているわけではないようだ。
「へ~~~い……」それに対し、間延びした声で返答する瑞鳥川。
「で…では……、僕はちょ……ちょっと、打ち合わせに行ってきます……から、留守をよ…よ……よろしくお願いいたします……」
和は、慌てふためいた様子で部屋から出て行った。
それを見た瑞鳥川、「あらま!? もしかして彼、想像して……立っちゃった!?」と呟くと、再び『にへら~っ!』と笑みを浮かべた。
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