2014.06.08 Sun
黒紫色の放課後 ― 前編 ―
「もう……辛い。私……何か悪いことした……?」
空が赤から黒に変わる時間、橙(ゆず)は混みあった歩道を夢遊病者のようにさまよっていた。
視線も虚ろで、おそらく本人でさえ、今……どこを歩いているか? わかっていないだろう。
香坂 橙(ゆず)、現在23歳。
見た目は、細面で、清楚な雰囲気。だが根は明るく、活発系だと自負している。
昨年、私立高校で国語教師として就職が決まり、早くも今年から、二年生の担任としてクラスを受け持つこともできた。
念願のクラス担任、毎日がバラ色になるはずだった。
だが、二ヶ月程過ぎた今では、毎日…毎日が、暗黒の日々になっている。
今日もそうだった。
「……というわけで、クラスのみんなで決めて頂きたいと思います!」
朝のホームルーム、橙は教室の隅々まで行き渡るような声で話した。
だが、その声はクラス全員の耳に届いていないだろう。
クラスの半分近くが橙を見ておらず、各々好き勝手に話をしている。
中には机の上に立って、奇声を上げている男子生徒すらいる。
「聞いてますか!?」
再度、声を張り上げてみるが、やはり何も変わらない。
「もう! 聞く気がないのなら、教室から出て行ってください!!」
我慢しきれなくなった橙は、感情をぶち撒けるように怒鳴ってしまった。
一瞬固まったように静かになる。
「あ……? なんでアタシらが出て行かなきゃ、なんないのよ!?」
こう口火を切ったのは、このクラスでも中心となっている、深紫 和榮(こきむらさき かずえ)。
ややツリ気味でパッチリした目の、今風の女子高生。
表立った不良というわけではないが、裏ではかなり酷い事をしているとの噂もある。
「橙ちゃ~ん、なんか勘違いしてない? ここは俺らのクラス。なんか気に入らねぇーんなら、お前が出て行けば~!?」
追い打ちをかけてきたのは、自称和榮の彼氏、佐竹 幸久。
大柄でガッチリした体格の金髪坊主頭。
生まれついての強面で、その素行は中学時代から評判は良くない。
「出てけ! 出てけ! 出てけ! 出てけ! 出てけ!・・・・」
日頃、和榮たちと一緒につるんでいる、中村光子、大関武雄も囃し立てる。
「出てけ! 出てけ! 出てけ! 出てけ! 出てけ!・・・・」
更に他の生徒たちも混ざり、クラス中…出てけ!コール。
「ほらっ、早く出て行けよ!」
佐竹幸久が橙の細い二の腕を掴むと、そのまま引き摺るように教室の扉へ向かった。
勢い良く扉を開けると、橙を廊下へ放り出す。
「ちょ…っ!」
教室へ戻ろうとする橙を遮るように、幸久は力いっぱい扉を閉めた。
ガチャ!!
内側から鍵を掛ける音が聞こえた。
「ねぇ! 中に入れてよ! ねぇったら……!!」
懸命に扉を叩く橙。
だが、中からは、嘲笑うような笑い声しか返ってこない。
それでも懸命に扉を叩いていると・・・
「何しているんですか、香坂先生?」
たまたま通りかかった学年主任の向田が声を掛けた。
「いえ、生徒たちに教室から閉めだされて・・・」
橙の言葉に向田は大きく溜息をつくと、
「いい加減にしてくださいね。あまり騒がれると、他のクラスにも迷惑ですから」
それだけ言い、何事もないように立ち去っていった。
― なんで……? 私が悪いの……? ―
毎日がこんな調子だ。
学年主任の向田や、ついには教頭……校長にも、これら生徒の素行を話した。
だが、「いずれなんとかしましょう」か、挙句には「騒ぎが大きくなると、入学希望者に影響がでるんですよ!」「我慢できないなら、退職するしかないですな!」とまで言われた。
はぁ…もう、やだ……。学校へ行きたくない……。
日も暮れ、辺りも心も暗くなり、彷徨うように歩いていると、目の前に見慣れた建物が現れた。
見渡すように大きく広がる建物は、それは…まさしく学校!?
でも、うんざりする職場である私立高校ではない!
「こ…ここは……!?」
橙は、確かめるように校門に記された学校名を見直した。
私立聖心女子大学・・・
そうだ、母校だ!
教員免許を取るため……、仲の良い友達と会話するため……。
去年まで通っていた、私の母校。
楽しかった学生生活を思い出したのだろう、橙の目から涙がこぼれ落ちていた。
橙はそのまま、見えない何かに引き寄せられるように、門をくぐり抜けていた。
「懐かしい・・・・」
断りもなく校内へ入ったものの、そんな罪悪感すら忘れてしまう心地よさが、そこにあった。
どこも見慣れた校舎内。まるで昨日までここに通っていたような気分だ。
懐かしさいっぱいで薄暗い廊下を歩いていると、奥から小さな赤い光のような物が二つ、こちらに近づいてきた。
「えっ!?」
我が目を疑った橙は、再度焦点を合わせ前方を見直す。
だが、もう赤い光は見当たらない。
― 見間違えだったかな…? ―
そう思った瞬間・・・!
「うふふ……、こんばんわ……」
すぐ耳元から、甘く可愛らしい声が聞こえた!
あまりに突然の出来事に、橙は身構えるように身を引いた。
「あら……、ごめんなさい。驚かせてしまったかしら……」
声の主は、変わらぬ甘い口調で言葉を続けた。
気を取り直して、声の主を確認する。
それは、小柄な女の子・・・・。
身長は橙より結構低い。おそらく150㎝ちょっと……。
更に細く華奢な体つきで、下手すれば中学生でも通るだろう。
オカッパを綺麗に伸ばしたような、しなやかで長い黒い髪は、まるで一昔…二昔前の、お姫様のよう……。
大学には少し不釣り合いなデザインの、鮮やかな緑色のワンピース。だが…それが不思議なくらい、よく似合っている。
「あなたは……?」
橙がそう問いかけようとした時……
「あ……姫ちゃん、また明日ね~~♪」
この大学の学生だろう。一人の女学生が急ぎ足で脇を通り過ぎた。
「うふふ……、ごきげんよう……」
小柄な、お姫様のような女子は、愛くるしい笑顔で軽く手を振った。
― ごきげんよう……って、現実でそんな事言う子……初めて見た! …て言うか、この子、姫ちゃんっていうの!? すごく名前と雰囲気がピッタリ合う子……!? ―
「ここでは『姫』と呼ばれているけど、本名は八夜葵(はやき)都(みやこ)と言うのよ」
まるで橙の心を読んだかのように、姫と呼ばれた少女……都は言葉を付け加えた。
そのタイミングの良さに、言葉が詰まった橙だったが、
「あ……、ごめんなさい。私は香坂 橙。この学校の卒業生……」
「初めまして、香坂先輩」
見惚れるような都の涼やかな笑顔に、少し落ち着きを取り戻した。
「でも、姫ちゃんって可愛いアダ名ね、あなたによく合うわ!」
「うふふ……、ありがとう。ワタクシ……この呼名、凄く気に入っているの。ちなみに生まれ変わった地では、『てんこぶ姫』と呼ばれていますわ」
― 生まれ変わった地・・・・? てん・・こぶ・・姫・・? ―
一瞬ちょっと理解に苦しんだが、再度気を取り直し
「てんこぶ……って、たしか私の地元の方言で、『大きな蜘蛛』の事を言っていたような……」
「ええ、大きな蜘蛛……、そういう意味よ。可愛いでしょう♪」
― 可愛い……? ま、まぁ……好みは人それぞれだから…… ―
「姫ちゃんは、ここの学生よね? 学部はどこなの?」
二人は、ティールームと表示された全面ガラス張りの喫茶室で、紙コップを手に向かい合って座っていた。
「教育学部ですわ」
「あ……、完全に私の後輩だ~~♪」
「改めて、よろしく……先輩」
― 少し変わったところもあるけど、この子…素直で可愛い! こんな子が私の生徒だったら…… ―
そう思った橙だが、すぐに現実を思い出し、一気に心が鉛のように重くなった。
「先輩、なにか…お悩み事でも……?」
「え……? あ、いや……」
橙がそう言って顔を上げると、すぐ眼前に都の目が・・・
「ひ…姫ちゃん……?」
「ジッとして、先輩……」
それこそ、目と目が触れ合うような距離・・・
それにしても、都の瞳・・・なんて涼しそうな瞳なんだろう。
蒼く澄んでいて、それでいて…深みがある。
まるで湖のようだ……。
「先輩の人生の色・・・、深く…濃い灰色なのね」
都がポツリと言った。
「人生の・・色?」
― また、なにか変わったことを……? ―
「な…なんなの、それ……?」
「目を見ているとわかるの。その人の人生が、今・・・どんな状況か?…が」
「私の……人生……灰色……?」
「心が救われるのなら、話を聞きますわ」
いったいこの子は、私から何を感じ取っているのだろう?
まるで、心が透かされているような気分だ。
でも……
でも……、言うわけにはいかない。
私のプライドとか、見栄とかでなく、この子も教育学部なら、将来教師になることを目標としているのかも知れない。
そんな子に、あんなに酷い生徒たちの話とか、とてもできないし、するべきでない。
「だ、大丈夫……心配しないで姫ちゃん」
「うふふ……、それならいいけど」
都はそう言って、ニッコリ微笑んだ。
「ねぇ…姫ちゃん、また会ってくれる? なんか、あなたといると、少しだけ安心できる気分になれる……」
「ええ、いいですわよ」
それから二~三日、橙は都と大学で待ち合わせした。
一緒にお茶を飲んだり、食事をしたり。
橙は、その時間だけ嫌な学校の事……、嫌な生徒たちの事を忘れることができた。
そう、あの日が来るまでは・・・・。
その日、全ての授業が終わった放課後。
橙が図書室で次の授業に使う文献を調べていると、クラスの女生徒、吉川が駆け寄ってきた。
「香坂先生、大変です! 早く来てください!!」
「どうしたの、吉川さん?」
「田上くんと・・・・井川さんが・・・! 早くっ!!」
「田上君と、井川さん……?」
どちらも橙のクラスの生徒。
共通しているところといえば、二人共真面目で大人しく、クラスでもあまり目立たないといったところか。
吉川に引きずられるように橙が向かった先は、体育館裏の体育倉庫。
閉じられた扉の隙間から、中を覗いてみる。
そこには深紫和榮と、共に行動しているいつもの面々。
佐竹幸久、中村光子、大関武雄。
四人は何かを取り囲むようにしている。
そしてその中心には、田上と井川の二人の姿が。
― な……なんなの……これは!!? ―
橙は思わず両手で、目を塞ぎそうになった。
二人共全裸で、仰向けに横たわっている田上に、井川が覆い被さるように上に乗っている。
体勢は数字の6と9の形で、頭部は互いの股間にある。
それは、明らかに性行為だ。
だが、その表情は涙ぐんでおり、とても欲情に任せた行動には見えない。
「深紫さんたちが、無理やりやらせているんです。それも、ここ…二~三日連続……」
吉川が訴えるように言った。
「二~三日……、なんで私や両親に言わないの!?」
「言ったら、録画した動画を……動画サイトにアップするって……」
録画……? 今、中村光子が携帯を向けているけど、アレのこと?
田上と井川の、クラスメートから強要させられた性行為・・・
冷ややかに見つめる、深紫和榮。 ナイフを片手に大笑いしている佐竹幸久。
携帯の動画機能を使って、録画している中村光子。
ヘラヘラ笑いながら、時折叱咤するように蹴りを加える、大関武雄。
橙の目には、狂気の沙汰としか思えない光景であった。
橙は力任せに扉を開けると、
「や…や………、やめなさいっ!!」
全てを吐き出すように怒鳴り声を上げた!
一瞬、時間が止まった。
涙目の田上と井川の二人も・・・、強要した四人も、全ての視線が体育倉庫の扉に集中したまま、止まっていた。
「あ…あなた達、学校で…何をさせているの!?」
息を荒げ、絞りだすように、声を放つ。
最初に時を戻したのは、やはり中心人物である、深紫和榮だった。
「アンタさぁ……、いくら教師だからって、生徒同士の恋愛の邪魔して、いいわけ?」
言っている意味は正論だ。だが、それが純粋で正しい心が発しているとは限らない。
「な…な……、なにが恋愛よ!? あなた達が二人に淫らな行為を強要させているのは、わかっているのよ!」
「ふ~ん……、アタシたちがこの二人に強要ね……」
和榮はそう言いながら、軽く溜息をつくと、
「ねぇ、田上……井川。アンタ達が好んでエッチしているんだよなぁ?」
問いかけた。
抱き合ったまま、放心状態の田上と井川の二人。
「ホラっ! 和榮が聞いてんだろ! しっかり答えろや!」
佐竹幸久が、手にしたナイフで二人の頬を軽く叩いた。
「ぼ…ぼ……僕達が……」
震えながら、口を開きだした田上。
「僕達が……やりたくて、エッチしてました……」
「だ・と・さ、センセ!」
和榮は不敵な笑みを浮かべた。
「あ……っ、橙ちゃん…、ホントはエッチ~ぃの見て、興奮しちゃったんじゃないの!?」
佐竹幸久が、馬鹿笑いしながら問いかけた。
「へぇー、そうなのかい…センセ?」
ソレを聞いた和榮は、そう呟くと、全員に目で合図を送った。
直ぐ様、幸久が橙の二の腕を掴み、強引に倉庫の中へ引きずり込む。
合わせて、大関武雄が倉庫の扉を閉めきった。
「な……なんなの……これは……!?」
予想もしない出来事に、橙の声も……そして、足も震えていた。
再び幸久が橙の腕を引き、倉庫奥で引きずり倒す。
尻もちをつき、見上げた顔の先には幸久のナイフが……。
「あ………」
この瞬間、心の奥底から恐怖を感じた。
「センセ、いいよ……ここで自慰しちゃっても」
和榮がすまし顔で近寄ってきた。
「生徒のエッチ見て、興奮しちゃったんだろ? アタシ達には気にしないで、自慰っちゃいなよ!」
「そ…そんなバカなこと……」
そう言った瞬間、頬に冷たい鉄の感触が・・・・
恐怖で身体を動かすことができず、目だけで追ってみる。
幸久が、ナイフを頬に当てていた。
更にそのナイフは、ゆっくり動き……、刃先が目の前に移動してきた。
「ひ…ひぃ……」
「ほら、まずはブラウスとスカートの中に手を突っ込んで・・・」
今にも眼球を突き刺さんばかりに、ナイフが小刻みに前後する。
橙は言われるまま、ブラウスのボタンを開け、スカートに手を入れた。
だが、だからと言って、こんな状況でそんな行為ができるはずがない。
ソレを察して、和榮は冷ややかに、こう指示した。
「田上くんと井川さん、センセ…やり方がわかんないみたいだから、手伝ってやりなよ!」
戸惑う二人に、幸久が睨みを利かせる。
二人は恐る恐る、橙の身体に触れた……。
「ほら、井川はセンセの胸を……。田上はアソコを舐めてあげなよ……♪」
大関武雄が気を利かせて、橙の衣服を剥ぎ取り、ストッキングとベージュの下着を引きずり降ろした。
二人の震える舌が、橙の胸と股間に触れる。
「だ…だめ……」
その状況を、和榮は冷め切った目で見下し、中村光子は嬉しそうに録画している。
恐怖。恥辱。無力さ。全てを実感し、橙はただ涙するしかできなかった。
「それじゃ~ぁ、そろそろ本番タイム、入りまぁ~ス!!」
幸久が大はしゃぎでズボンを脱ぎ、その男性自身を橙に見せつけた。
「や…や……、やめ…て………、おねがい……!!」
後ずさりする橙を横目に、和榮は苦笑しながらも続行を命じ、武雄は大興奮、光子は更に嬉しそうに携帯を向けた。
その日、橙は『処女』を失った。
それを知った和榮は、「この歳で~~!?」と大笑いし、幸久は満面の笑みで「ごちそうさま」と答えた。
当の橙は、もう……涙すら出なかった。
空が赤から黒に変わる時間、橙(ゆず)は混みあった歩道を夢遊病者のようにさまよっていた。
視線も虚ろで、おそらく本人でさえ、今……どこを歩いているか? わかっていないだろう。
香坂 橙(ゆず)、現在23歳。
見た目は、細面で、清楚な雰囲気。だが根は明るく、活発系だと自負している。
昨年、私立高校で国語教師として就職が決まり、早くも今年から、二年生の担任としてクラスを受け持つこともできた。
念願のクラス担任、毎日がバラ色になるはずだった。
だが、二ヶ月程過ぎた今では、毎日…毎日が、暗黒の日々になっている。
今日もそうだった。
「……というわけで、クラスのみんなで決めて頂きたいと思います!」
朝のホームルーム、橙は教室の隅々まで行き渡るような声で話した。
だが、その声はクラス全員の耳に届いていないだろう。
クラスの半分近くが橙を見ておらず、各々好き勝手に話をしている。
中には机の上に立って、奇声を上げている男子生徒すらいる。
「聞いてますか!?」
再度、声を張り上げてみるが、やはり何も変わらない。
「もう! 聞く気がないのなら、教室から出て行ってください!!」
我慢しきれなくなった橙は、感情をぶち撒けるように怒鳴ってしまった。
一瞬固まったように静かになる。
「あ……? なんでアタシらが出て行かなきゃ、なんないのよ!?」
こう口火を切ったのは、このクラスでも中心となっている、深紫 和榮(こきむらさき かずえ)。
ややツリ気味でパッチリした目の、今風の女子高生。
表立った不良というわけではないが、裏ではかなり酷い事をしているとの噂もある。
「橙ちゃ~ん、なんか勘違いしてない? ここは俺らのクラス。なんか気に入らねぇーんなら、お前が出て行けば~!?」
追い打ちをかけてきたのは、自称和榮の彼氏、佐竹 幸久。
大柄でガッチリした体格の金髪坊主頭。
生まれついての強面で、その素行は中学時代から評判は良くない。
「出てけ! 出てけ! 出てけ! 出てけ! 出てけ!・・・・」
日頃、和榮たちと一緒につるんでいる、中村光子、大関武雄も囃し立てる。
「出てけ! 出てけ! 出てけ! 出てけ! 出てけ!・・・・」
更に他の生徒たちも混ざり、クラス中…出てけ!コール。
「ほらっ、早く出て行けよ!」
佐竹幸久が橙の細い二の腕を掴むと、そのまま引き摺るように教室の扉へ向かった。
勢い良く扉を開けると、橙を廊下へ放り出す。
「ちょ…っ!」
教室へ戻ろうとする橙を遮るように、幸久は力いっぱい扉を閉めた。
ガチャ!!
内側から鍵を掛ける音が聞こえた。
「ねぇ! 中に入れてよ! ねぇったら……!!」
懸命に扉を叩く橙。
だが、中からは、嘲笑うような笑い声しか返ってこない。
それでも懸命に扉を叩いていると・・・
「何しているんですか、香坂先生?」
たまたま通りかかった学年主任の向田が声を掛けた。
「いえ、生徒たちに教室から閉めだされて・・・」
橙の言葉に向田は大きく溜息をつくと、
「いい加減にしてくださいね。あまり騒がれると、他のクラスにも迷惑ですから」
それだけ言い、何事もないように立ち去っていった。
― なんで……? 私が悪いの……? ―
毎日がこんな調子だ。
学年主任の向田や、ついには教頭……校長にも、これら生徒の素行を話した。
だが、「いずれなんとかしましょう」か、挙句には「騒ぎが大きくなると、入学希望者に影響がでるんですよ!」「我慢できないなら、退職するしかないですな!」とまで言われた。
はぁ…もう、やだ……。学校へ行きたくない……。
日も暮れ、辺りも心も暗くなり、彷徨うように歩いていると、目の前に見慣れた建物が現れた。
見渡すように大きく広がる建物は、それは…まさしく学校!?
でも、うんざりする職場である私立高校ではない!
「こ…ここは……!?」
橙は、確かめるように校門に記された学校名を見直した。
私立聖心女子大学・・・
そうだ、母校だ!
教員免許を取るため……、仲の良い友達と会話するため……。
去年まで通っていた、私の母校。
楽しかった学生生活を思い出したのだろう、橙の目から涙がこぼれ落ちていた。
橙はそのまま、見えない何かに引き寄せられるように、門をくぐり抜けていた。
「懐かしい・・・・」
断りもなく校内へ入ったものの、そんな罪悪感すら忘れてしまう心地よさが、そこにあった。
どこも見慣れた校舎内。まるで昨日までここに通っていたような気分だ。
懐かしさいっぱいで薄暗い廊下を歩いていると、奥から小さな赤い光のような物が二つ、こちらに近づいてきた。
「えっ!?」
我が目を疑った橙は、再度焦点を合わせ前方を見直す。
だが、もう赤い光は見当たらない。
― 見間違えだったかな…? ―
そう思った瞬間・・・!
「うふふ……、こんばんわ……」
すぐ耳元から、甘く可愛らしい声が聞こえた!
あまりに突然の出来事に、橙は身構えるように身を引いた。
「あら……、ごめんなさい。驚かせてしまったかしら……」
声の主は、変わらぬ甘い口調で言葉を続けた。
気を取り直して、声の主を確認する。
それは、小柄な女の子・・・・。
身長は橙より結構低い。おそらく150㎝ちょっと……。
更に細く華奢な体つきで、下手すれば中学生でも通るだろう。
オカッパを綺麗に伸ばしたような、しなやかで長い黒い髪は、まるで一昔…二昔前の、お姫様のよう……。
大学には少し不釣り合いなデザインの、鮮やかな緑色のワンピース。だが…それが不思議なくらい、よく似合っている。
「あなたは……?」
橙がそう問いかけようとした時……
「あ……姫ちゃん、また明日ね~~♪」
この大学の学生だろう。一人の女学生が急ぎ足で脇を通り過ぎた。
「うふふ……、ごきげんよう……」
小柄な、お姫様のような女子は、愛くるしい笑顔で軽く手を振った。
― ごきげんよう……って、現実でそんな事言う子……初めて見た! …て言うか、この子、姫ちゃんっていうの!? すごく名前と雰囲気がピッタリ合う子……!? ―
「ここでは『姫』と呼ばれているけど、本名は八夜葵(はやき)都(みやこ)と言うのよ」
まるで橙の心を読んだかのように、姫と呼ばれた少女……都は言葉を付け加えた。
そのタイミングの良さに、言葉が詰まった橙だったが、
「あ……、ごめんなさい。私は香坂 橙。この学校の卒業生……」
「初めまして、香坂先輩」
見惚れるような都の涼やかな笑顔に、少し落ち着きを取り戻した。
「でも、姫ちゃんって可愛いアダ名ね、あなたによく合うわ!」
「うふふ……、ありがとう。ワタクシ……この呼名、凄く気に入っているの。ちなみに生まれ変わった地では、『てんこぶ姫』と呼ばれていますわ」
― 生まれ変わった地・・・・? てん・・こぶ・・姫・・? ―
一瞬ちょっと理解に苦しんだが、再度気を取り直し
「てんこぶ……って、たしか私の地元の方言で、『大きな蜘蛛』の事を言っていたような……」
「ええ、大きな蜘蛛……、そういう意味よ。可愛いでしょう♪」
― 可愛い……? ま、まぁ……好みは人それぞれだから…… ―
「姫ちゃんは、ここの学生よね? 学部はどこなの?」
二人は、ティールームと表示された全面ガラス張りの喫茶室で、紙コップを手に向かい合って座っていた。
「教育学部ですわ」
「あ……、完全に私の後輩だ~~♪」
「改めて、よろしく……先輩」
― 少し変わったところもあるけど、この子…素直で可愛い! こんな子が私の生徒だったら…… ―
そう思った橙だが、すぐに現実を思い出し、一気に心が鉛のように重くなった。
「先輩、なにか…お悩み事でも……?」
「え……? あ、いや……」
橙がそう言って顔を上げると、すぐ眼前に都の目が・・・
「ひ…姫ちゃん……?」
「ジッとして、先輩……」
それこそ、目と目が触れ合うような距離・・・
それにしても、都の瞳・・・なんて涼しそうな瞳なんだろう。
蒼く澄んでいて、それでいて…深みがある。
まるで湖のようだ……。
「先輩の人生の色・・・、深く…濃い灰色なのね」
都がポツリと言った。
「人生の・・色?」
― また、なにか変わったことを……? ―
「な…なんなの、それ……?」
「目を見ているとわかるの。その人の人生が、今・・・どんな状況か?…が」
「私の……人生……灰色……?」
「心が救われるのなら、話を聞きますわ」
いったいこの子は、私から何を感じ取っているのだろう?
まるで、心が透かされているような気分だ。
でも……
でも……、言うわけにはいかない。
私のプライドとか、見栄とかでなく、この子も教育学部なら、将来教師になることを目標としているのかも知れない。
そんな子に、あんなに酷い生徒たちの話とか、とてもできないし、するべきでない。
「だ、大丈夫……心配しないで姫ちゃん」
「うふふ……、それならいいけど」
都はそう言って、ニッコリ微笑んだ。
「ねぇ…姫ちゃん、また会ってくれる? なんか、あなたといると、少しだけ安心できる気分になれる……」
「ええ、いいですわよ」
それから二~三日、橙は都と大学で待ち合わせした。
一緒にお茶を飲んだり、食事をしたり。
橙は、その時間だけ嫌な学校の事……、嫌な生徒たちの事を忘れることができた。
そう、あの日が来るまでは・・・・。
その日、全ての授業が終わった放課後。
橙が図書室で次の授業に使う文献を調べていると、クラスの女生徒、吉川が駆け寄ってきた。
「香坂先生、大変です! 早く来てください!!」
「どうしたの、吉川さん?」
「田上くんと・・・・井川さんが・・・! 早くっ!!」
「田上君と、井川さん……?」
どちらも橙のクラスの生徒。
共通しているところといえば、二人共真面目で大人しく、クラスでもあまり目立たないといったところか。
吉川に引きずられるように橙が向かった先は、体育館裏の体育倉庫。
閉じられた扉の隙間から、中を覗いてみる。
そこには深紫和榮と、共に行動しているいつもの面々。
佐竹幸久、中村光子、大関武雄。
四人は何かを取り囲むようにしている。
そしてその中心には、田上と井川の二人の姿が。
― な……なんなの……これは!!? ―
橙は思わず両手で、目を塞ぎそうになった。
二人共全裸で、仰向けに横たわっている田上に、井川が覆い被さるように上に乗っている。
体勢は数字の6と9の形で、頭部は互いの股間にある。
それは、明らかに性行為だ。
だが、その表情は涙ぐんでおり、とても欲情に任せた行動には見えない。
「深紫さんたちが、無理やりやらせているんです。それも、ここ…二~三日連続……」
吉川が訴えるように言った。
「二~三日……、なんで私や両親に言わないの!?」
「言ったら、録画した動画を……動画サイトにアップするって……」
録画……? 今、中村光子が携帯を向けているけど、アレのこと?
田上と井川の、クラスメートから強要させられた性行為・・・
冷ややかに見つめる、深紫和榮。 ナイフを片手に大笑いしている佐竹幸久。
携帯の動画機能を使って、録画している中村光子。
ヘラヘラ笑いながら、時折叱咤するように蹴りを加える、大関武雄。
橙の目には、狂気の沙汰としか思えない光景であった。
橙は力任せに扉を開けると、
「や…や………、やめなさいっ!!」
全てを吐き出すように怒鳴り声を上げた!
一瞬、時間が止まった。
涙目の田上と井川の二人も・・・、強要した四人も、全ての視線が体育倉庫の扉に集中したまま、止まっていた。
「あ…あなた達、学校で…何をさせているの!?」
息を荒げ、絞りだすように、声を放つ。
最初に時を戻したのは、やはり中心人物である、深紫和榮だった。
「アンタさぁ……、いくら教師だからって、生徒同士の恋愛の邪魔して、いいわけ?」
言っている意味は正論だ。だが、それが純粋で正しい心が発しているとは限らない。
「な…な……、なにが恋愛よ!? あなた達が二人に淫らな行為を強要させているのは、わかっているのよ!」
「ふ~ん……、アタシたちがこの二人に強要ね……」
和榮はそう言いながら、軽く溜息をつくと、
「ねぇ、田上……井川。アンタ達が好んでエッチしているんだよなぁ?」
問いかけた。
抱き合ったまま、放心状態の田上と井川の二人。
「ホラっ! 和榮が聞いてんだろ! しっかり答えろや!」
佐竹幸久が、手にしたナイフで二人の頬を軽く叩いた。
「ぼ…ぼ……僕達が……」
震えながら、口を開きだした田上。
「僕達が……やりたくて、エッチしてました……」
「だ・と・さ、センセ!」
和榮は不敵な笑みを浮かべた。
「あ……っ、橙ちゃん…、ホントはエッチ~ぃの見て、興奮しちゃったんじゃないの!?」
佐竹幸久が、馬鹿笑いしながら問いかけた。
「へぇー、そうなのかい…センセ?」
ソレを聞いた和榮は、そう呟くと、全員に目で合図を送った。
直ぐ様、幸久が橙の二の腕を掴み、強引に倉庫の中へ引きずり込む。
合わせて、大関武雄が倉庫の扉を閉めきった。
「な……なんなの……これは……!?」
予想もしない出来事に、橙の声も……そして、足も震えていた。
再び幸久が橙の腕を引き、倉庫奥で引きずり倒す。
尻もちをつき、見上げた顔の先には幸久のナイフが……。
「あ………」
この瞬間、心の奥底から恐怖を感じた。
「センセ、いいよ……ここで自慰しちゃっても」
和榮がすまし顔で近寄ってきた。
「生徒のエッチ見て、興奮しちゃったんだろ? アタシ達には気にしないで、自慰っちゃいなよ!」
「そ…そんなバカなこと……」
そう言った瞬間、頬に冷たい鉄の感触が・・・・
恐怖で身体を動かすことができず、目だけで追ってみる。
幸久が、ナイフを頬に当てていた。
更にそのナイフは、ゆっくり動き……、刃先が目の前に移動してきた。
「ひ…ひぃ……」
「ほら、まずはブラウスとスカートの中に手を突っ込んで・・・」
今にも眼球を突き刺さんばかりに、ナイフが小刻みに前後する。
橙は言われるまま、ブラウスのボタンを開け、スカートに手を入れた。
だが、だからと言って、こんな状況でそんな行為ができるはずがない。
ソレを察して、和榮は冷ややかに、こう指示した。
「田上くんと井川さん、センセ…やり方がわかんないみたいだから、手伝ってやりなよ!」
戸惑う二人に、幸久が睨みを利かせる。
二人は恐る恐る、橙の身体に触れた……。
「ほら、井川はセンセの胸を……。田上はアソコを舐めてあげなよ……♪」
大関武雄が気を利かせて、橙の衣服を剥ぎ取り、ストッキングとベージュの下着を引きずり降ろした。
二人の震える舌が、橙の胸と股間に触れる。
「だ…だめ……」
その状況を、和榮は冷め切った目で見下し、中村光子は嬉しそうに録画している。
恐怖。恥辱。無力さ。全てを実感し、橙はただ涙するしかできなかった。
「それじゃ~ぁ、そろそろ本番タイム、入りまぁ~ス!!」
幸久が大はしゃぎでズボンを脱ぎ、その男性自身を橙に見せつけた。
「や…や……、やめ…て………、おねがい……!!」
後ずさりする橙を横目に、和榮は苦笑しながらも続行を命じ、武雄は大興奮、光子は更に嬉しそうに携帯を向けた。
その日、橙は『処女』を失った。
それを知った和榮は、「この歳で~~!?」と大笑いし、幸久は満面の笑みで「ごちそうさま」と答えた。
当の橙は、もう……涙すら出なかった。
| てんこぶ姫 | 14:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑