2011.06.29 Wed
『劇場版そらのおとしもの時計じかけの哀女神』を観てきた。
マンガ、イラストによるサイト更新を休止している状態ですが、いい機会なので、本当の自分自身のフェチ嗜好は何なのか? 自身の原点を見つめなおしている るりょうりに です。
今回は、日記更新です。
このサイトでも、色々な形で紹介している私の好きなアニメ、『そらのおとしもの』が劇場公開されました。
その『劇場版そらのおとしもの時計じかけの哀女神』をみてきたので、その感想を書きたいと思います。
まぁ、このサイトを閲覧している方のなかで『そらおと』のファンの方はあまり見受けられませんが、ソレはソレ。
私自身の映画記録みたいなものとして、了承してくださいw
ついに公開されました、アニメ『そらのおとしもの』劇場版。
原作、アニメどちらも好きな上に、劇場予告の出来の良さで、期待満々で行ってきました。
開始直後から『超☆愛合体エンジェロボ!!』
あの『宮内タカユキ氏』が歌う挿入歌に合わせ、智樹と3人のエンジェロイドの合体(ただの肩車)!
巨大ニワトリ相手に、巨大化した『そはら』が立ち向かう。
「♪たたかえ そはらロボ。 でっかいパンツが丸見えだけど♪」
スクリーンに、そはらのパンチラ(パンモロ)が大アップ。
(てか、こんなバカな歌を宮内氏に歌わせるなよw 大御所の無駄遣いw)
そんなわけで『そらおと』らしい、おバカな始まりで「これは期待できる!」と観始めたわけなんですが・・・
結論から先に言います。
私は個人的に、不満の残る作品でした。
ここから先は、思いっきり【ネタバレ有り】の感想になりますので、まだ観ておられない方等のネタバレが困る方は、戻られてください。
映画を観終えた方。もしくは、まだ観ていないが、「ネタバレ大いに結構」という方のみ、お進みください。
また、個人的な不満を書きまくるので、どんな解釈でも『そらおとの批判は許せない』という方も、ここから先は進まない方がいいでしょう。(気分を害する可能性がありますので。)
アニメそらおと1期2期のエピソードの中に、今作品のヒロインである『風音日和』がいた。というものであるが、はたして必要なものだったのだろうか?
たしかに、『日和』が智樹という男子に興味を引かれるという演出の上で、悪い方法では無いと思う。
だが詳しく観てみれば、『空飛ぶパンツ』『雪合戦』などでは、日和は顔見せ程度で、ほとんど意味が無い。
また、この『エンジェル・ビジョン方式』だが、公式HPには「テレビシリーズを観ておらず、この劇場版で初めて『そらおと』に触れる人も、日和と一緒に、スムーズに『そらおと』世界に入る事が出来るだろう。」とある。
しかし、実際には1期2期の部分的ダイジェストで、正直『初めて』そらおとを観る人にはわけがわからないと思う。
正直、ただの尺かせぎのように感じた。
画像もTVアニメの使いまわしで、劇場のスクリーンで見るには少し残念な状態だ。(後半のクォリティーが高い分、尚更)
日和の智樹への想いを表現するのに、他に方法があったのではないだろうか?
『予告と違う』
アニメ2期『そらのおとしものf』の最終回で劇場版の予告があったのだが、イカロスとニンフのメイドコスプレによる「智樹喜ばせ作戦」や、死臭のする「そはらの目玉焼き」。そはらやニンフ達が智樹の欲望妄想に巻き込まれる「智樹の車窓から」があったが、実際には一切それらのシーンが無かった。
なぜカットしたのだろう?
個人的には、上記の1期2期の使いまわしシーンを使用するより、これらのシーンを使ったほうが、新鮮だったと思うが。
(まぁ、これは何かの事情があったのだろうと、許せる範囲ではある。)
『日和が新大陸部入部。』
やっと劇場用ストーリーらしい展開になり、「やっと本筋に入ったか」と再度期待が高まった。
実際、智樹の日和入部拒否作戦は、たしかに面白かった。
智樹の押し付ける、恥ずかしい無理難題に純粋に挑戦していく日和。それに対する智樹の「正気かぁーっ!?」は、ついつい微笑まずにはいられない。
(原作では、さらに作者からの「お前もな」というツッコミがあり、もっと笑えたが)
そして、日和の智樹への告白シーン。
「私・・・あなたの事が、好きです。」
このシーンは、ちょっと涙腺が熱くなりましたね。
原作では、告白された智樹が「ずっとこの子の事を忘れない」と思っていた矢先に、目の前で日和は事故に遭い死亡するのですが、映画では智樹のいない場所で事故に遭いましたね。
これは、ちょっと残念だったかな。なぜなら、そのためこのセリフが無くなってしまったからである。
このセリフがこの後に起こる、『記憶消去』のイベントへの重要なキーワードだったのに。
その後の、地上の日和の消滅と、日和に関わった人々の記憶消去。
この辺は原作と一緒なんですが、映画では智樹は記憶を忘れていない事を表現していましたね。
ここも、原作通り『忘れたフリ』をして、ゼータ戦時に実は忘れていなかったとしたほうが、空のマスターの「サクライ…トモキ…」と悔しがるシーンが映えたと思うのですが。
そしてクライマックスの新エンジェロイド…ゼータ登場シーン。
原作と違い、再び地上に降り立った日和。
「よかった、私…帰ってこれたんですね。」と喜ぶのもつかの間、ゼータへと変化していくシーン。
巨大な時計の歯車のような物を背負い、宙に浮かぶその姿は、劇場版の敵(あえてこう言います)らしく、迫力満点でした。
ゼータは原作では気候を操って攻撃してきましたが、映画では時間を操る設定。
サブタイトルの『時計じかけ~』とはこの意味だったようですが、うむ・・・あまり意味の無い設定のような。
でも、原作では無かったイカロスやアストレアとゼータの交戦は、観ていてワクワク。
ここまでは良かったのだが、問題はこの後・・・・
まず、ゼータと対面した智樹は、「必ず助けるから。」と告げる。
原作では、エンジェロイドに改造され、空のマスターに操られ、思考を失っているはずのゼータ(日和)が、無表情のまま…涙を流す。
そう、操られるままの戦闘マシーン同然のゼータだが、潜在意識の奥深くは日和のままであり、だからこそ智樹の優しさが嬉しく感じる。
そんな、すごくいいシーンなのに・・・・
劇場版では、このいいシーンが無い!
そして、さらに原作ではゼータを倒すのでなく、助けるために、イカロス、ニンフ、アストレアに作戦の指示を出す智樹。
ぶっちゃけ、普段おバカな智樹とは思えない、すごくカッコイイ智樹のシーン。
これも無い・・・。
ニンフとゼータのハッキングによる電子戦はあるにはあったが、場繋ぎ程度で、肝心なニンフの覚醒や、空のマスターに対する反抗セリフも無い。
最悪なのは、とってつけたようなゼータの時限爆弾(?)のようなもので、ゼータ…消滅。
結局…
智樹は日和を助ける事ができなかった。
そのまま…エンドロールへ。
何コレ!?
「必ず助けるから。」この名セリフはなんだったの?
せっかく、原作がいいのに・・・・
日和を無事に救いだして、軽いギャグを入れてほのぼのとしたエンディングで〆る。
それが、そらのおとしもの じゃないの?
「あとはエンドロール後に、きっと『そらおと』らしい、明るいエピローグがあるはず!」
そう信じて、エンドロールが終わるのを待っていたら、やはりその後のエピローグ『らしき』ものが・・・
それは、日和は無事に戻ってきた(?)と思わせるシーン。
それでオシマイ。
なんか、しっくりこない!!
先程も書いたけど、軽いギャグが入った…ハッピーエンド。
それが、そらおとじゃないのかな?
そう思うのは、私だけかな?と思い、照明が点いた劇場内を見渡すと、「これで終わり?」と言いたげに呆然とした表情の人たちが殆どw
ホント、個人的には大いに不満が残るエンディングでした。
そうそうエンディングといえば、主題歌「SECOND」の使い方。
これも個人的には、「おぃおぃ…」って感じでした。
「SECOND」自体、明るいポップな感じで、個人的に好きな曲です。
エンディングテーマには、「そらとまぼろし」という曲が公表されていたので、ではオープニングで使うのかな?と思いきや…オープニングでは無し。
一体どこで使うんだろうと思っていたら、エンドロールで「そらとまぼろし」の1番が流れ、その後「SECOND」が流れてきました。
何…この使い方!?
エンドロールで2曲も使う必要性があるわけ?
しかも主題歌だろう!
こんな、とってつけたような使い方するなよ!
なんか、この映画・・・
最高の材料を集めたのに、料理方法を間違えてしまった・・・・
個人的に、そんな思いがする映画に思えてなりません。
色々、批判的な事を書きましたが、私個人は「そらのおとしもの」という作品は大好きです。
だからこそ、この感想ということで。
| 自己紹介 | 19:03 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
映画そんな事になってたんですねー。見に行ってないから知らなかったです。
そらおとはあの装置を智樹だけでなくもっと女の子に使うべきだと思うんですw
| | 2011/06/29 19:20 | URL | ≫ EDIT